優 し い 手   


絡む視線(2)

遊園地へは6人で行った。テニス部の奈津美達は試合があって参加できなかったので、女子は唯菜と美咲の2人だった。
郊外にある遊園地までの直通のバスに乗るために、駅前で待ち合わせをした。
「晴れてよかったよね。」
二人がけの座席に唯菜は美咲と一緒に腰をかけていた。初冬の色の薄い青空が遠くに広がっているのをバスの車窓から見上げる。
ほんと、と答えた美咲が唯菜に耳打ちした。
「中村と座ればよかったのに。」
「なんかわざとらしいじゃん。」
唯菜の言葉に美咲は苦笑して、後ろの座席を振り返った。最後尾の広い座席を4人の男子が占領している。
「ま、そうかもね。」
遊園地までの30分ほどの道のりを結ぶ直通バスの中には高校生と中学生が殆どを占めていた。自家用車があれば車で行く方が便利がよいから、家族連れや大人は自動車で行く。唯菜も小学生の頃、親戚に連れて行ってもらったときは車で行った。
直通バスに乗るのは初めてだった。馴染みのない道路を進んでいくが、窓の外に広がる見知らぬ景色よりも皆の話の方に気が行ってしまうのは当然のことだろう。途中幾つかのバス停で数人の学生を乗せて、遊園地に着いた頃には通路は立っている乗客で埋もれる程になっていた。
「やっぱ多いよね。」
「こんな時期に少ないかと思ったけど。」
「真冬でも行くやつは行くんだよ。」
唯菜達は一番最後にバスを降りた。
「準備いいじゃん。」
「まあな。」
既に俊介が手配していた前売り券で、そのまま門の方に向かう。発券カウンターは先程のバスから降りた客の殆どが並んでいるようだった。
俊介がバスガイドよろしく、一人一人に前売り券を渡していく。最後にもらった唯菜と俊介は自然に並んで歩き始めた。
「前売り券なんか買ってたんだね。」
「おう。コンビニでな。」
「だから、お金だけ先に集めてたんだ。」
行く人数が決まった日に、フリーパスのお金を俊介に渡したものの、それがどうしてなのか何も考えていなかった唯菜は感心していた。
「東条がさ、その方が安上がりで、すぐ入場できるからってさ。」
「ふーん、さすが美咲。」
「あいつ口だけだし。実際に買いに行ったの俺ですから。」
「ご苦労様です。」
誰が遊園地に行こうと言い始めたのかは知らないままだったが、唯菜が邪推したあの放課後には、前売り券の話などをしていたのかなあ、と唯菜は推測していた。あの時は隠し事をされているようで暗澹とした思考に落ち込みがちだったのも今なら馬鹿馬鹿しく思える。
「最初どれからいくー?」
先頭を歩いていた中川の声に、藤山がちゃっかり取ってきていたマップを広げて、皆がそれを覗き込んだ。

天気は一日中良かった。午前中は強く吹いていた風も幾分弱まり、気温も上がってくると、過ごしやすくなってきた。唯菜達は混雑を避けて食券制のレストランで遅い昼食をとった。
「お化け屋敷行ってみたい。」
「えーっ、絶対イヤ!」
美咲が食べ終わったうどんの器を脇に避けるとマップの右端を指さした。隣でラーメンを啜っていた唯菜は慌てて拒否した。
「おもしろそうじゃん。」
「美咲平気なの?信じられん。わたし絶対ダメ。」
「そういや、ゆいってばそういう系全くだったわね。」
「うん・・・。」
唯菜は想像しただけで本気で腕に鳥肌が立ったことを感じる。
「お化け屋敷?こんな時期はずれに、珍しいな。」
美咲の前に座っていた中川が興味を示したのか、マップを覗き込んだ。食べ終わってレストランの端にあるゲーム機に群がっていた俊介達も戻ってきて冬にお化け屋敷ってのもいいかもな、と盛り上がり始めた。
「私は絶対やだからね。」
「いいじゃん、中村にくっついてれば。」
再度拒否をする唯菜に、美咲は耳打ちした。
「無理!」
もう何年も足を踏み入れたことはないが、これまでの2回の経験から、相当みっともない状況になることは想像できて、それを俊介に見られるのは恥ずかしいし、そんな状況で美咲の言うように、甘えるフリをして接近するという高等な技を繰り出せるとは思えなかった。
「私はパスの方向で。」
「え、一人残るの?」
「うーん、朝に乗ったコースターにもう一回乗ってくる。」
「あれ乗るくらいなら、お化け屋敷の方がよっぽどましじゃない?」
この遊園地の呼び物でもある絶叫系コースターで真っ青になっていた美咲は眉を潜める。
「井上、お化け屋敷じゃなくて、コースター乗るんか?」
いつの間にか隣に座っている俊介に顔を覗き込まれて、唯菜は慌てた。
「私にとってはコースターの方がましだもん。」
俊介は意外と絶叫系は苦手らしい。隣に乗っていた唯菜は、乗り物が急降下を始めてから一言も発しなかったので怖くないのかと思っていたが、実のところ声さえ出せないほど硬直していただけだった。
「じゃあさ、お化け屋敷とコースターで分かれようよ。」
藤山が妥当な案を持ち出した。
結局、コースターに乗ることになったのは唯菜と藤山だけだった。逆方向に歩いていく俊介の後ろ姿を見送りながら、無理をしてでもお化け屋敷にすればよかったんだろうか、と後ろ髪を引かれながらも、藤山と一緒に歩き出した。
「ごめんね。」
「何が?」
隣を歩く藤山がこちらを見たのが分かった。
「お化け屋敷行けなくて。気をつかってくれたんでしょ?」
「別に。俺もああいう系って苦手なんだよ。」
「そうなんだ。」
藤山の言葉は嘘だろうと思っていたが、ここで突っ込んでみても意味がない。さりげない気遣いを嫌みなくやってしまう藤山に、外見だけじゃなくてこういうところもモテル原因なんだろうな、と隣を見上げた。
俊介よりも少し高い位置にある彼の顔は逆光で余り表情が分からなかった。
「井上こそ、我慢して中村に付いてけば良かったのに。」
「ちょっと!」
一瞬でかあーっと血が上るのが分かる。
「もう、そういうこと言わないでよ。」
赤くなった頬を手で隠しながら、唯菜は俯いた。
「顔赤いよ。」
彼の顔を見ることはできないが、にやけているのが声の調子でも分かって、ますます、唯菜は挙動不審になってしまう。さすがに園内で一番人気のコースターだけに、列ができている。その最後尾に並ぶと、もう二人で立って待つしかなかった。園内のはるか遠くのレーンで一回転したコースターがアップダウンを繰り返している。
「井上ってからかいがいあるんだな。」
「何よ、それ。」
藤山の体が唯菜の方を向いているのが分かったが、唯菜は頑なに前だけを向いていた。顔の火照りが引かない。
「いやー中村と付き合ったのだってあんまりにも突然でさ、なんかの冗談かと思ったけど、そうでもないんだな。」
冗談。
そんな風に思われてるんだ、と唯菜は一瞬で顔の熱が引いてしまった。藤山の感想がそのまま俊介の気持ちのように思えた。轟音と共にコースターが乗り場へと戻ってくる。
「冗談で付き合うって、その発想が藤山くんらしいわ。」
一瞬言葉に詰まっていたが、それはコースターの騒音のせいにして、唯菜はすぐににっと笑って藤山の方に体を向けた。
「え、何それどういうことさ。」
藤山なら、さらりと返してくるかと思ったのだが、どういう訳か想像以上にうろたえているのが彼らしくない。
「まあ深い意味はないけど。」
「何だよ。」
「なに焦ってんのよ。」
「・・・・。」
藤山は顔を顰めてから溜息を吐いた。列の最前の人たちがコースターに乗り込んだせいで、並んでいる人が進んでいく。
冗談みたいと思われても仕方ない。だって、本当に冗談から始まったようなものだ。
私にとっては一世一代の告白だったんだけど、そう思われたくなかったっていうのも本当だし。だから仕方ない、と自分に言い聞かせる。
「中村に聞いてたけど、ほんと井上って結構毒舌なんだな。」
「感心していただけるほどでもないわよ。」
感心してないし、と進んでいく前の人に付いていくために正面を向いた藤山はぼそりと呟いた。2年生で初めて同じクラスになった藤山とは、俊介や美咲を介して親しくなったから、余り二人だけで話したことはなかった。俊介が自分のことを藤山に話している、それだけで内容はともかく、唯菜はさっき受けた打撃が軽減していくのを感じた。
「次のに乗れそうだね?」
「あー、・・・だな。」
自分達の前にいる人間の後頭部を数える。コースター乗り場は建物の2階よりは高い位置にあって、地上にいるよりは園内を見渡すことができる。無意識の内にお化け屋敷のある方向を見た唯菜に釣られるように、藤山もそちらを振り向いた。
俊介が自分のことをどういう風に言っているのかもう少し聞いてみたかったが、どんな顔をして言い出せばいいのか分からない。
「井上は、もしかしてずっと中村のこと好きだったのか?」
突然藤山が聞いてきた。
俊介のことを考えていた唯菜は返事に窮してしまった。
「・・・・・そういうのは秘密。」
否定するのもどうかと思って咄嗟に出た言葉は、肯定にしかとれないんじゃないかと、忽ち後悔してしまう。「ふーん。」
藤山がそれ以上何も言わなかったので、唯菜もそのまま黙った。乗り場は屋根に覆われていて薄暗く、彼からは唯菜の顔色は分からないかもしれない。横目で隣を見ると、藤山はさっきと同じように園内を見下ろしていた。唯菜をからかうつもりはないらしく、彼なら不用意に自分の今日の慌てぶりを俊介に伝えてしまうことはきっとないだろう、と安堵した。
唯菜も視線を戻してもう一度俊介達がいるであろう園内の端っこの方を見渡した。
コースターを選んだのは、もちろんお化け屋敷なんてとんでもない、という気持ちもあったが、俊介が唯菜がいなくてもお化け屋敷を選んだのに、こちらだけが折れるのも癪だ、と言う意地っ張りな部分と、今日はグループで来ているのだし、別に俊介の側にずっといなくても平気だ、という強がりな部分も多く影響していた。もし素直にお化け屋敷に行っていれば、どさくさに紛れて彼に縋り付けたかもしれない。
また手を繋いだりできたかもしれない。
午前中、全員でコースターに乗ったときは、乗り場に到着して、しばらく動けなかった俊介の手を引っ張るようにしてベンチまで連れて行った。ベンチに座った俊介の頭を見下ろすようになって、意外と睫毛が濃いのだということを知った。
あんな風に何の気負いなく近寄ることができたのかもしれないのに。
コースターの音が近づいてきた。唯菜はつい出そうになった溜息を振り切るように、滑り込んでくるコースターの方を見た。唯菜の方を向いていた藤山と視線が合う。キキーッと金属の摩擦音とともにコースターが低速になった。
「・・・・・・・よかったのに。」
轟音で藤山の言葉を聞きそびれてしまった。蛇行しながら乗り場に入ってくるコースターに乗っている人の顔はみな上気していた。
「ごめん、聞こえなかった。」
藤山は一瞬呆けたように唯菜の顔を見たが、すぐにからかうような笑いになると、動き出した列に付いて歩き出す。
「いや、ほんとお似合いと思うよ。お前らって。付き合う前から仲良かったしな。」
「ありがと、冗談のお付き合いでも嬉しいよ。」
唯菜は、照れ臭さのあまり素直に受け取れずに、皮肉を付け足してしまう。
「なんだよ、あれは言葉のあやだって。」
藤山はしょうがないな、と言う顔をして笑っていた。正直なところ、藤山の言葉は嬉しかった。俊介と唯菜のことが認められたかのようで自分の中にある不確かさへの不安が薄くなる。今までそういう類のことを言ってくれた人はいなかった。だから唯菜は余計に、もっと俊介と仲良くなりたい、自分の気持ちに素直になりたい、と無性に思ってしまった。 まずは今日から。少しでも俊介の側にいられるように、頑張ってみよう。
しかし、そう決意した唯菜の高ぶった気持ちはすぐに萎れてしまうことになった。

<2010.7.28>