優 し い 手   


絡む視線(1)

10月の終わりに俊介とボーリングに行ってから、俊介の方から遊びに行こうと持ちかけてくれるようになった。あれから10日間、二人で会ったのは4回。その内の1回は勉強会と称して彼の家に呼ばれ、俊介の母親に中間テストの成績のことで感謝され、それなりに勉強もした。それ以外は、実力テストで少し早く終わった放課後、部活が始まるまでの余り時間で、公園に行ったり、駅前の街を歩いたりした。
二人でいる時間が増えれば、ボーリング場のように知り合いに会うこともある。少しずつ、俊介と唯菜が付き合っていることは知れ渡っているようだったが、それは唯菜にとっては気恥ずかしい反面、嬉しいことでもあった。
結局、佐藤が何のために俊介を待ち伏せしていたのか、二人で何を話していたのか聞くこともないままだったが、唯菜自身はもうあまり気にならなかった。幸いなことに唯菜はその二人が接するところを見る機会のないままで、現実味が薄く、それよりは自分と俊介の関係が周りに知られていく方が現実的だった。逆に奈津美があれは何だったか、とやきもきしていたのが、それは彼女が実際に俊介達が喋っているのを見たせいかもしれない。
しかし、俊介と佐藤が一緒にいるところを目にする機会は全く忘れた頃に訪れた。といっても、唯菜が見たのは、廊下で俊介と佐藤が擦れ違っただけの場面だった。二人ともお互いの友達がいて、喋ることはもちろん、挨拶を交わすことさえなかった。ただ、佐藤の方は俊介達に気付くと気まずげに顔を逸らしたように思えた。唯菜は思い切って俊介に佐藤のことを聞いてみると、佐藤は藤山のことが好きで1年で同じクラスだった俊介に協力してほしいと頼まれただけだとあっさり教えてくれた。

「ふーん、よかったじゃない。」
「うん・・・。」
少し歯切れの悪い返事をする唯菜に美咲は自信ありげに言った。
「聞いて良かったでしょ?ああだこうだ悩んでてもしゃあないんだから。」
「そうだよ。事実を知らねば対策も練れない。」
きっぱり言い切った美咲に、奈津美もふんふんと頷いている。
「そうかな。」
「そうだよ。私だったら速攻、卓也問いつめてるね。んで、きっちり釘を刺す。」
「だね。まあ本人が口を割りそうにない場合は、情報収集して、追い込むと。」
唯菜は空になった弁当箱の蓋を閉めながら、とっくに食べ終わってカカオ濃度の濃いチョコレートに手を伸ばしている二人の顔を見回した。
「てか、黙ってられないよね。ある意味、唯菜はすごいよ。知らないフリができるっていうのは。」
「舞台裏ではかなり悶々としてたけどね。」
持ち上げる奈津美の言葉を打ち落とす美咲の鋭い指摘に、唯菜は何も返せなかった。
あれこれ悩むよりは、一言聞いてしまえば、確かに方向性くらいは定まるかもしれない。それは唯菜も分かってはいる。
でも、そんな簡単に聞けないよ。
今回のことも俊介に聞くにも絶対聞こうと決めてから4日間、さりげなく尋ねられる機会を窺って、できるだけ何でもないことのようにさりげなく話を振ったつもりだった。それに、聞こうと決心できたのも、たまたま目にした場面で、俊介の余りにも平素な態度や目を逸らした佐藤の表情から、唯菜にとってそれほど悪い物にはならないだろうとある程度予想がついたからで、そうでなければ、白黒はっきりさせようなんて思えなかっただろう。
「結局、中村にどうこうっていうじゃなかったけど、これからはそうそうないわよ。唯菜が心配しなきゃいけないようなことは。」
奈津美がにやにやしながら、唯菜を突っついた。
「え、なんで?」
「唯菜と中村が付き合ってるってテニス部でも結構噂になってるよー。最近よく一緒にいるからじゃない?」
「そうそう。いつまで秘密にしてるのかと思ってたけどねえ。」
「別に、秘密にしてた訳じゃないけど・・・。」
弁当箱を入れる巾着袋のひもを結んだり解いたりしている自分の指先を照れ臭さを誤魔化すように見下ろす。
「いい傾向じゃん。意外と中村ももてるもんね。彼女いますってアピールしとかなきゃ。」
「だねー、ま、藤山ほどじゃないけど。あ、唯菜。中村って藤山と佐藤さんの橋渡ししたの?」
俊介がもてるのは知ってるけど、とまた暗くなりかけていた唯菜は美咲の問いかけに顔を上げた。
「え?やーどうだろ。聞いてない。」
「ふーん。あの二人がつき合い始めたとも聞かないし、どっちにしても振ったんだろね。藤山のやつ。」
ちょうど、食堂から戻ってきたらしい俊介と藤山達が教室に入ってきた。皆の視線がそちらに向いたが、騒いでいる彼らはそれに気付いてないようだった。
「どっちだろうと関係ないか。」
美咲は本当にどうでもいいという顔で、チョコレートの包み紙を丸めるとぽいっと机の上の空箱に放り入れた。ふと、以前に唯菜がこっそり聞いてしまった彼らの会話で、確か藤山は佐藤に興味なさそうだったことを思い出したが、話題が昨日のテレビ番組に移ってしまっていたので、それを口にすることはなかった。

「あれ?」
「なに?」
唯菜は鞄の中を探っていた。
「ない、携帯。やば、忘れたかも。」
「えーうっそ、まずいじゃん、見つかったら。」
同じバスで帰っている早月が顔を顰めた。南高校では携帯電話を学校に持ち込むことは禁止されている。そうは言っても、殆どの生徒が隠し持っているのも事実で、教師も厳しく取り締まっているわけではないが、さすがに持っている現場を見られたら小言は食らうだろう。そういうこともあって、唯菜は学校にいる間も携帯電話は鞄に入れたままにしておくのだが、今日は昼休みに奈津美と画像を送り合ったりして、つい無造作に机の中に入れてしまったのだ。
放課後の教室で鳴っている携帯を担任に見付けられたら、それほど厳しい教師ではないにしても何か言われるだろう。もし、母親に連絡でもされたら・・・。そちらの方が面倒だ。
「取りに行ってくる。」
「あ、私も行くよ?」
「ううん、バス停で待っててよ。もしバス来たら乗ってっていいから。」
付いて来ようとする早月に手を振ると、唯菜は来た道を走りだした。まだ校門からは出ていなかったし、全速力で戻れば、バスが来るまでに戻れるかもしれない。校舎へと続く道には帰宅途中の生徒が数人歩いている。自転車に乗っている者もちらほらいた。彼らに逆行するように唯菜は駆けだした。
グランドではこれから練習を始めようという体育部がそろそろ着替えを終えて集まり始めているらしかった。
俊介はいるだろうか。
目の端でサッカーゴールを出す生徒の姿を捉えたが、確認する間もなく校舎の方に走っていく。靴箱のある正面玄関には回らずに、2年の教室のある校舎の入口に駆け寄った。上履きなしで冷たい廊下を歩かなくてはならないが、校門からだとそこが一番近い。扉を開けようとして、ふと、正面玄関の方に続く渡り廊下に見慣れた後ろ姿があることに気付いた。
俊介だ。
彼は一人で正面玄関の方へ歩いていった。制服のまま肩からスポーツバックをかけている。名前を呼ぼうとして、二人の距離に開きかけた口を閉じた。正面玄関に続く校舎に彼の後ろ姿が消える。練習のある日はすぐに部室に行くはずなのに、と疑問に思ったが、唯菜は待たせている早月を思い出し、すぐに靴を脱ぐと、靴下のまま正面にある階段を駆け上がった。
俊介も何か忘れ物をしたのかもしれない、夜にメールで聞いてみよう。
「ひゃっ!」
一段とばしで階段を駆け上がっていた唯菜は踊り場で上から降りてきた人と正面からぶつかりそうになった。
「ゆい・・・。」
謝ろうと顔を上げると、それは美咲だった。彼女も驚いた顔をして唯菜を見ている。
「どうしたの?帰ったんじゃなかったっけ。」
一瞬呆けたような顔をしていた美咲だったが、息の上がっている唯菜の顔を覗き込んでいた。
「うん・・。携帯忘れて。」
「あ、そうなんだ。今なら先生いないし、問題ないよ。」
「・・よかった。」
ほおっと安堵の息を付いた唯菜が、美咲はどうしたのか、と聞こうとしたとき美咲がにっと笑った。
「じゃあ、バス間に合うようにね!」
息が上がって、禄に返答のできない唯菜に、美咲は手を振るとそのまま階段を降りていった。
何か引っかかりながらも、唯菜は美咲の最後の言葉にいっけない、バス、と呟いてからまた階段を上り始めた。
携帯は唯菜の机の中にあった。それを鞄の中に入れると唯菜はすぐに階段を降りて、裏口の方へ進みながら、正面玄関への渡り廊下を見たが、もう美咲の姿はなかった。

もしかして。
疑念を抱いたのはバスを降りてマンションまでの道を一人で歩いている時だった。
バス停で早月は息を切らせて駆け寄ってきた唯菜を迎えてくれた。そこまで時々足を緩めながらグラウンドや、美咲がいつも使っている西門の方を何度も振り返っていたが、彼女と俊介の姿を見ることはなかった。中途半端に放り出されたような、漠然とした違和感を抱えながらも、バスの中では早月とドラマの話で盛り上がっていた。
なんで気付かなかったのだろう。
唯菜が校舎に入ってから、見かけたのは美咲と俊介だけ。補習のない放課後はあっさりと人が退けてしまう校舎にあの二人だけが残っていたこと、唯菜と会った美咲があまり会話もしないまま行ってしまったこと。
それに、唯菜を見た美咲の顔。ひどく驚いて、すぐに何かを確かめるような表情で、唯菜の顔を窺っていたような気がする。
もしかして、美咲と俊介は二人で教室に残っていた?
一緒にいるところを見たわけではない。でも時間的にあの二人が全く顔を合わせていないとは思えなかった。もしも、二人が別の教室にいたのなら、それもあり得るかもしれないが、他の教室も人気はなく、自分のクラス以外に用があったというのは考えにくかった。
唯菜と同じように俊介も美咲もたまたま忘れ物をして、ばったり教室や廊下で会ったかもしれない。
でもそれなら、美咲が唯菜に何も言わなかったことは逆におかしかった。
普通なら今中村来てたよ、とか一言ありそうなのに。逆に逃げるように唯菜の所から去っていったように思える。
まさか。
気のせいだ。
唯菜は自分がひどく疑い深くなっていることを嫌悪した。しかも美咲に対して・・・。

疑うくらいなら聞いてしまおう、とも考えたが、結局聞けなかった。その晩、俊介からのメールで来週の日曜日にみんなで遊園地に行こうと誘われたのだ。結局、放課後彼を見かけたことも、自分が忘れ物を取りに戻ったことも伝えられないまま、『いくいくー!』と脳天気を装ったメールを返しただけだった。
放課後は俊介と美咲の間で遊園地に行く話をしていただけなのだろう、と簡単に思うことができなかった。二人で出かけるのに慣れてきたのに、なぜ美咲達も一緒なのだろう、とか、唯菜と会ったときになぜ美咲は遊園地のことを話さなかったのだろう、とか違和感ばかりが募っていく。
どうでもいいことじゃない、一緒に遊べるんだから、と思いこもうとしたが、うまくいかなかった。
それでも、翌日学校でいつものような一日を過ごすうちに、唯菜は自分の考えすぎだと自然に思えるようになっていた。

<2010.7.16>