優 し い 手   

照れくさいのはお互い様?(2)

それから週末まで、昨日は佐藤さん来なかったよと毎朝、奈津美から報告されてほっとしていた。奈津美が見ていないだけで、実際は話をしているのかもしれないが、それならそれで、何も知らない方がましだと思った。事実を知ったとしても、ただやきもきするしかできないのなら、そんな感情の乱れはほしくなかった。
1週間、俊介と二人きりで話をする機会はなく、夜に交わすメールだけが、唯菜と彼の唯一の繋がりだった。
何の解決もないまま、日曜日がやって来た。佐藤のことはずっと引っかかっていたが、唯菜が督促するまでもなく、俊介からはちゃんと待ち合わせの時間と場所を書いたメールが送られてきた。

「どこ行こっか?」
勉強会をのぞけば初のデートということで、唯菜は土曜日中、デートの内容をシュミレートしていた。まずはどこへ行くか。サッカーの練習は午前中で終わるということで、唯菜達は駅前で1時に待ち合わせた。学校から1番近い駅に現れた俊介はジャージではなく、シャツにベストを合わせ、ジーンズを履いていた。数えるほどしか見たことのない俊介の私服姿に、唯菜はかっこいいーと心の中で大絶賛していた。唯菜の目には駅の構内にいる高校生全員を合わせても俊介よりかっこいい人はいないように思えた。
「ボーリングとかどう?」
唯菜は昨日考えに考えた行き先候補の一つ目を提案してみた。
「お、いいねえ!じゃ行こうぜ。」
即決である。俊介は体を動かすのが好きだし、待ち合わせ場所のすぐ近くにボーリング場もあるし、以前クラスメート達と一緒に行ったときにかなり上手そうだったし、という唯菜の考えはビンゴだったらしい。高校から近いここの駅は、大きな駅ビルと繁華街のある駅から2つ目、駅舎は素っ気ないものだったが、外に出るとすぐに大きな遊技場がある。ボーリング、カラオケ、ゲーム、ビリヤードなど一通りの遊びができて、時間つぶしにはぴったりだ。平日も休日も南高生を始めとする高校生の溜まり場にもなっていた。
日曜日の今日は幾分家族連れの姿もあったが、圧倒的に高校生が多い。
「ラッキ、空いてる!」
ボーリングの受付カウンターの奥にある電光掲示板には待ち時間0分と表示されていた。 「日曜って結構待つんだよなー。」
受付を済ませて言われたレーンに向かう。ずらりと並んだレーンは殆どが人で埋まっていた。
「結構来るの?」
「そうだな、日曜はサッカーの後に飯食ってそのまま来ること多いなあ。」
「そうなんだ。」
毎週のように来ているのなら、ボーリングなんて今更だったかも、と唯菜は心配になった。しかし俊介は、いそいそという感じでシューズを履き替えていて、少なくともまたボーリングか、などと倦厭しているような雰囲気は見られない。
「井上は?」
「え、なに?」
「いや、ボーリング、よくする?」
彼のことをじっと見ていたのに気付かれたのか、と慌てて椅子に座ると、靴を脱いだ。咄嗟に座った席は、操作パネルの前に座っている俊介から一番離れた端の席だった。
「うん、たまに。」
「そういや、夏休みに一緒に来たよな?女子で1番よかったことなかったっけ?」
「うーん、そうだっけ?忘れちゃった。」
もっと近くに座るべきだったかも。唯菜はレンタルしたシューズのマジックテープを止めながら後悔していた。ボールを取りに行く時に席は移れるかな、と考えて体を起こすと、すぐ近くに俊介が立っていた。ドスンと音がして唯菜の隣の席に俊介が座る。
「勝負しようぜ。ハンデは付けるからさ。」
お互いの肘が触れる。パカーン、ガラガラと隣のレーンでピンがボールに弾け飛ばされた音が響いた。
「なんか賭けるの?」
「負けた方がジュースおごり。」
「うーん、ジュースくらいなら。」
ボーリング場は騒々しく、会話を交わそうとすると声を張り上げるか、顔を近付けるしかないので仕方ないことだと分かっているが、接近しすぎた顔を直視することができなかった。会話は普通に進めていると思うが、顔が赤くなっていないという自信はない。視線を少し落とすと、お互いの足が見える。俊介が足を開けているので、彼の膝と菜々美の膝が触れそうだった。途端に足を動かすこともできなくなる。唯菜が固まっていると、俊介が立ち上がった。
「いっけね、ボール取りに行ってない。」
唯菜は緊張の抜けた体で俊介の後に付いて行った。二人の使うボールの置かれている位置は逆方向だった。幾つかのボールを持って、指穴の具合を見ながら、唯菜は横を見た。離れた所に歩いてくる俊介がいた。彼は選んだボールを持って席に戻ってきているところだった。こちらに近付いてくるが、辺りをきょろきょろと見回していて、唯菜の方を見ることはない。何か探しているんだろうか?唯菜は自分の方を見ない彼に、何となしに胸が痛くなってボールに目を戻した。この1週間ずっとわだかまっていたことを思い出す。
それとなく佐藤のことを聞けるだろうか。わざわざメールで聞き出すことはできなかったが、今日なら、話の持っていきようで不自然でなく聞き出せるかもしれない、と暗い気分のまま考えていた。
ハンデを30にしたが、いざゲームを開始すると、唯菜のスコアは滅茶苦茶だった。全く球筋が決まらない。俊介の視線が自分の後ろ姿にあるのかと思うと、いつもの投球フォームができていないのが自分で分かる。踏み出した足と手が合わなくて、ボールが妙に曲がってしまう。対して俊介は毎週のように来ているということもあってか、かなりの腕前だった。
「調子悪くね?」
「うーん、ほんとにね。」
原因は自分が自意識過剰なせいなのだと分かっているから、俊介が腕の振りが悪いんかなあ、とか、ボールの号数変えてみたら?とかアドバイスをくれるのも、余分な気を使わせているようで申し訳ない。
「もしかして体調悪い?」
つい、うつむき加減になっていた顔を俊介に覗き込まれ、唯菜はぱっと顔をあげた。
「ううん!たまにこんなスコアになることもあるんだ・・・ごめん・・。」
笑って見せた先の俊介の顔が思ったより近くにあって、返事が尻窄みになってしまう。唯菜は思わず目を逸らした。俊介も予想外だったのか離れるように椅子に背中をもたれさせた。
「や、謝ることじゃないし。疲れてんじゃなければ、まあ・・・。」
俊介の言葉もぎこちない。
ああ、最悪。俊介にも気まずい思いをさせている。
こんな近くにいるとやっぱり緊張してしまう。ゲーム前にボールを持って戻ってきた俊介は、先に座っていた唯菜の隣に何の躊躇もなく座った。椅子と椅子の間には肘掛けもなく、少し肘を動かせば当たってしまう。投げるために立ち上がっても彼が同じ席に戻ってくるから、自分も同じ席に座るしかない。
それは嬉しすぎる状態だったが、その反面心臓が痛くなるほどの緊張を強いられる状態でもあり、唯菜はいつもならできている『普通のフリ』が時々危うくなっていた。佐藤のことを聞くどころではない。
レーンの前に立って、手にしたボールを構える。向こう側に並ぶ10本のピン。心臓はずっと高鳴ったままだが、ここに立つと、違う部分も強張ってくる。
やっぱり今日のシフォンのフレアスカートは短すぎた、と今日何度目かになる後悔をしながら、足を踏み出してボールを振りかぶった。いつもの通りに、と祈っていることが既に平常とは違っているわけで、どこか繋がらない流れのままでボールが指先から離れていった。
ガーターこそ出なくなったものの、やっぱり倒せないままのピンが残ってしまう。このままでは100を超すのも危うく、唯菜にとって史上最悪のスコアになってしまうことは間違いなかった。
どんまい、という俊介の声にへへ、と笑って見せながら座る。入れ違いに俊介が立ち上がったその時だった。
「中村!」
突然降ってきた大声に驚いた唯菜が顔を上げると、ジャージ姿の男子二人がフロアからの階段を降りてきて俊介達のコーナーに入ってきた。唯菜も彼らの顔に見覚えがある。同学年のサッカー部員だった。
「ってえ!やめろよ。」
一人が俊介の首を後ろから羽交い締めにしている。俊介がサッカーの後によく来ると言ってたのは、部員達と来ていたのだと当たり前のことに思い当たった。
カウンターの方からぞろぞろと彼らの同行者らしき男子達がこちらに寄ってきて、一段高いフロアから唯菜達の方を見ている。
「中村がいるよ。」
「一緒にいるのって井上?」
そちらをちらりと見ると同じクラスの男子もいて、唯菜は顔が熱くなった。
「なんだよ、お前ら!邪魔すんなって。」
やっと腕から逃れた俊介がぶすっとした顔で、ほんの少し唯菜の側に寄ってきた。まるで自分をかばってくれているかのように思える。
「今日は行けないとか言ってた中村くんが見えたから、会いに来てあげたんですよ。」
「なー。それを邪魔って、何してんの?」
「ボーリングに決まってんだろ。ほれ、向こう行け!」
たぶん下級生だろう、見覚えのない生徒はそのまま奥のレーンへと進んでいったが、同級生の4人はそのまま唯菜達の椅子に座り込んで騒ぎ出す。
「なに?お前めっちゃいいスコアじゃん。」
「いつもだろ!」
「ねえねえ、井上さん。中村と付き合ってんの?」
唯菜の隣に座ったクラスメートが、彼らの騒ぎに入りきれずにいた唯菜に話しかけてきた。
「え、ええ、あーっと・・・。」
唯菜と俊介が付き合っていることをこの人達が知らないということは、俊介がそれを部員には教えていなかったと言うことだ。それがどういうことなのか理由までは分からなかったが、一瞬佐藤の存在がよぎった。
何て答えたらいい?
「付き合ってんだよ。」
俊介が言葉を濁していた唯菜とクラスメートの間に体を割り込ませるようにして答えた。 「そこ俺の席。のけよ。」
いつからだよ?と驚くクラスメートを引っ張り出すとどかっとそこに座って、唯菜の座る椅子の背もたれに片腕を回した。ちらりと目の端に映った手の動きと、その一瞬後に肩に当たった物の感触で、唯菜はそれを知った。
「体育祭からだよ。もういいだろ、向こう行け。」
俊介が別の方の手で部員達を追い払う仕草をすると、部員達は固まっている唯菜に気付いたのかどうか分からないが、不平そうな表情を消した。
「へーへー、おじゃまでした。」
「じゃあねえ、井上さん。」
「気を付けてねえ。」
薄いパーカーの生地を通して唯菜の肩に伝わってくる、触れるかどうかの微かな熱。たぶん、俊介の手なのだろう。それを想像するだけで、唯菜は笑いながら手を振って離れていく部員達に手を振り返すことさえできなくなっていた。
「うるさくしてごめんな?」
突然俊介に覗き込まれて、唯菜は火照った頬を隠すように両手を当てた。
「え、全然!ささっ、続きしよっ。俊介の番!」
肩に感じていた存在がすっと離れていく。
よっしゃ、と気合いを入れながらレーンの方へ進んでいく俊介の後ろ姿を見送りながら、ほっとしながらも、どこかでもったいないと落胆する部分があって、唯菜は開放された肩を撫でた。
顔を廻らせると一番端のレーンにサッカー部が固まっていて、最後まで俊介をからかっていた4人がそこに加わるのが見えた。何人かがこちらを見ているのが分かって、唯菜はすぐに投球フォームに入った俊介の後ろ姿に視線を戻す。ゴーッと勢いよく滑っていくボールは真っ直ぐに進むと全てのピンをはね飛ばした。
「すっごーい!」
すぐに振り返った俊介がイエーイと軽やかに戻ってきて、唯菜にハイタッチをしてきた。唯菜もすぐにそれを返す。もうためらわなかった。彼と触れるたびに心臓が変な具合に高鳴るが、それさえも単純に嬉しかった。
俊介が唯菜と付き合っている、とはっきり答えてくれた瞬間に、唯菜のずっと抱えていた拘りは霧散した。サッカー部だけでなく、クラスにも二人の関係がばれてしまうことを俊介は厭わなかったという事実を目の当たりにして、人から聞いただけの佐藤とのやりとりを俊介に追求する気は失せてしまった。
自分でもなんて現金なんだろうと思ったが、その後の唯菜のボーリングはいつもの調子に戻っていた。緊張が完全になくなった訳ではないが、俊介の手や足に触れても何でもないように振る舞えたし、時々思い出したようにやって来たサッカー部員とも気負わずに話できた。
「調子いいじゃん!」
「実力です。」
今日初めてストライクを決めて戻ってきた唯菜の頭を、俊介は立ち上がりざまにポンポンと叩いた。その柔らかい感触に、見ているかどういかも分からないサッカー部員の視線を意識しながら、私って彼女なんだ、と実感する。
唯菜の調子が良くなった原因など、俊介は知る由もないだろうが、その方がよかった。たまたまタイミングがずれていたのが、本調子になった、ぐらいに思っていてくれれば。
佐藤のことや、いつもより近くにいる俊介との距離感に囚われて調子を狂わせていたなんてことを、彼には知られたくなかった。もしも気付かれてしまえば、扱いの面倒な人間だとみなされて、運良くなれた彼女という立場を失ってしまいそうな気がする。
唯菜は最終投球で連続スペアをとってガッツポーズのまま振り返った。
「うっわ、まさかやばい?!」
「どーんなもんよ。1点差で勝ち!」
ハンデ増やすんじゃなかった、とぼやいている俊介に、ブイサインを見せつけた。さっきまでのぎこちなさや気まずさはなかったことにしてしまえるだろう、と唯菜はほっとしていた。

<2010.6.20>