優 し い 手   


照れくさいのはお互い様?(1)

「それで?」
美咲がストローをくわえたまま呆れたように言った。
「それでって?」
「家行って、手握っただけ?」
美咲の意図が分かって照れ臭さから憮然としてしまう。
「そうだよ。悪い?」
わるくはないけどねーと美咲はストローでグラスの中の氷をがちゃがちゃとかき混ぜた。唯菜も家に呼ばれたとき、そういうことを全く意識しなかったわけではないが、手に触れられただけで平静を保つのが危ういのに、それ以上なんて到底無理だ。
「ベッドで寝ようってそれって中村の誘いだったんじゃない?」
「何の誘いよ!んなわけないじゃん!寝ようじゃなくて寝たら?って言ってたんだから。」
「それにしても、ゆいと中村ってつき合いだしてから1ヶ月なるのに、なんか変わらないよね。」
ずばずばと痛いところをついてくる。でもそれは事実だから、唯菜はなにも反論できなかった。
確かに俊介と唯菜が付き合っていることはごく一部の生徒にしか知られていない。隠すつもりはなかったが、仲の良いクラスメートと、よく一緒に帰っている別のクラスの友人に打ち明けただけだ。俊介がどこまで話をしているのかは分からないが、傍目にはそれまでの友達としてのじゃれ合いと変わったようには見えないのだろう。
「ゆいの態度も問題あると思うわよ。」
「へ?」
美咲と同じようにグラスに残った氷をかき混ぜていたストローを止めた。俯き加減だった顔を上げて美咲の顔を見た。
「ポーカーフェイス過ぎるよ。中村のこと好きってのが出てない。」
「そんなこといっても・・・」
「ふたりになってもツンケンしてんじゃない?」
「ツンケンって・・・」
「まあツンケンってのは言い過ぎかもしれないけど。」
唯菜は美咲の指摘が正しすぎて何も言えなかった。
確かに唯菜は俊介本人に対しても、周りのクラスメートに対しても、俊介に対する焦がれるような気持ちを見せることはできなかった。心の思うままに行動することの方が唯菜にとってはずっと気力が必要だった。俊介に触れられて心拍数が上がっても、それを顔に出さないようにする方が、唯菜にとっては自然なことだった。それはこれまで3年近く気持ちをひた隠しにして友達のスタンスを保ってきたせいかもしれないし、つきあい始めたきっかけがまるで冗談のようだったからかもしれない。
自分でも全く想像してなかったようなタイミングと言葉で始まってしまったつき合い。
つきあいの始まりとなった言葉だけをみると、成り行き以外のなにものでもなかったが、唯菜の側にはそれまで積み上げられてきた気持ちが秘められている。
でも俊介の側には何が秘められているのだろう?弾みでしてしまった返事に後悔をしていないだろうか。そもそも、あの会話の意味を唯菜と俊介で全く別の捉え方をしているんじゃないか。
唯菜にとってはあのやりとりは全てだったが、俊介にとっては冗談でしかないのかもしれない。
何の覚悟も必要としないまま到達できたものの、今度は逆にそのあやふやさにどうしていいのか分からなくなって、結局唯菜は今までと同じように何でもないフリを続けてしまうのだった。
「まずは、唯菜から行動しなさい。」
黙ってしまった唯菜に最後通告のように美咲が言った。
「行動って?」
「休みの日に会おうって言うのよ。ゆいから言ったことある?」
「テスト前に明日も帰ろうって言ったことあるよ。」
「そんなの誘った内に入らない!」
ぴしゃりと言い切られてしまい、さすがに反抗心も芽生える。
「でも一番始めに付き合おうって言いだしたのは私だよ」
小声て呟くと、美咲は冷ややかな視線を向けた。
「確かにゆいにしては上出来と思うけど、それだけじゃねえ」
美咲の言うことはいちいち正しい。よく分からないまま始まった二人の関係も俊介のお陰でなんとか少しずつは進展していると思う。
メールをくれたのも俊介。帰ろうと誘ってくれたのも俊介。初めてのデート(お勉強会をデートと言えるのなら)を発案したのも俊介。
それがなければ、きっと唯菜からは動き出せずに、あの会話そのものがなかったことになっていただろう。
「でも土日はサッカーだと思うし。」
「そんなの聞かなきゃ分からないでしょ?それに1日中練習してる訳じゃないんだから、練習の後とかにちょっとでも会おうって誘えばいいじゃん。」
畳みかけてくる美咲に唯菜は頷くしかなかった。そもそもこれまでに何人もの人と付き合った経験のある美咲に恋愛関係で唯菜がかなう訳はないのだ。

結局、今夜のメールで誘うことと美咲に厳命された唯菜は自室の椅子に座って机の上に置いた携帯を注視していた。
テスト期間中続けられた俊介と二人の帰り道は、テスト最終日から部活が再開されたために、なくなっていた。それから1週間、夜のメールを除けば、また二人の繋がりは希薄になりつつある。美咲の言うとおり、俊介からの行動を待っているだけでは駄目なんだ!と一気奮発して今週末に会えないかとメールを送った。今はその返事待ち。
毎晩、俊介の方からメールが来るのを待っているものだから、唯菜からメールを送ることは滅多にない。
俊介って見かけによらずまめだよな。
つきあい始めるまで、彼がつき合っている彼女に毎晩メールをするような男の子だとは思っていなかった。そういうことを面倒がりそうに感じていた。
これまでつき合った彼女たちにもこんな風にメールしてたんだろうか。
俊介はいつも相手からつきあってくださいと言われて、それを軽く受けてきたようだが、別れも早かった。どちらとのつき合いもほとんど二人でいるところを見ないまま、1ヶ月程度であっけなく終わってしまっていた。
お陰で、唯菜が絶望的な気分に陥ったのはごく短期間で済んだのだが。
唯菜と俊介はつきあい始めてから1ヶ月を乗り越えた。ただ、教室以外の場所で二人で一緒にいることがほとんどないのは今までの彼女たちと変わりない。
私達がつきあっていること、他のクラスの人は全然知らないんだろうな。
同じクラスでも、あまり接触のない子達は気付いてないかもしれない。
至近距離でいきなり携帯の着信音が響き、唯菜は大袈裟なほどびくんとなった。
携帯を開けてメールを見る。俊介からだった。
『日曜なら部活のあとあいてるよ。遊びに行こうぜ(^ ^)練習の時間が分かったらまた教えるな。』
とりあえず日曜日の約束を取り付けたことにやったーと呟いてからメールの続きを読む。
『それとテストめっちゃ親にほめられた。井上のおかげだって喜んでたよ。またお礼したいからうち連れて来いって。』
今日で殆どの教科のテストが返された。英語、数学と授業が終わる度に、俊介は唯菜の席にやって来てテストを見せてくれた。もちろん唯菜には負けているが、数学に限って言えば、かなりいい線で、クラスの上位に入っているだろう。英語は平均点と変わらなかったが、俊介にとってはこれまでで最高得点だったらしい。
素直に感謝されると、なんだかこそばゆくて、まだまだ大したことないじゃん、なんてその時は可愛らしくないことを口にしてしまった。
急いで返信を打つ。
『では日曜日よろしくね。テストのことお母さん達に喜んでもらえてよかった!すぐに結果を出してくれるので、俊介は教えがいあるかも。なーんてえらそうかな。次も頑張ろうね。』
メールだと幾分素直になれる。
目の前にいてもこれくらいの言葉を返せたらいいのに。

翌朝、俊介と約束を取り付けたことを美咲に報告しなきゃと浮かれて教室に入った唯菜を迎えたのは、険しい顔をした奈津美だった。同中学出身の奈津美は唯菜と同じテニス部に所属していて、そのときからのつき合いだ。今年は同じクラスで、美咲や俊介も交えて仲良くしていた。
「ちょっと、唯菜。」
鞄を持ったままトイレに連れ込まれた。
彼女の気色ばった雰囲気に圧倒されて手を引かれるままに付いていく。
「昨日ね、部活の後で、3組の佐藤さんが、中村呼び出してなんか話してたよ。」
「え・・さとうさん?」
浮かれ気分は一瞬で吹き飛ばされる。
「なにはなしてたの?」
「いやそれはわからない。わたしが練習終わって部室に行く途中で見たんだけど、佐藤さん、中村のこと待ってたみたい。部室に入るところで声かけてたよ。」
奈津美は高校でもテニス部を続けていた。唯菜も誘われたが、母は帰りが遅くなるからと入部を許さなかった。
「10分位かなー、着替えながら外見てただけだからはっきり分からないけど、部室出たらもういなかった。」
「へえ。」
唯菜は奈津美の話を聞いた最初の驚きから態勢を立て直しつつあった。
「一応知らせた方がいいかと思ったんだけど。」
「うん、教えてくれてありがとう。」
唯菜が奈津美に笑いかけると、彼女は不思議そうに唯菜を見た。
「それだけ?」
「それだけって?」
「私だったら、卓也が佐藤さんに呼び出されたなんて聞いたら速攻問いつめに行くわよ。」
確かに奈津美なら、すぐさま飛び出して彼氏に問いただに行くだろう。同じテニス部で中学の頃から付き合っている卓也と奈津美なら、そんなものなのかもしれない。
「なんか唯菜って冷静だわ。見習わなきゃ。」
「そう?」
唯菜はそれきり俊介の話はせずに奈津美と一緒に教室に戻った。

しかし、授業中は全く上の空だった。なんでよりにもよって佐藤さんなんだろう?
呼び出したのが佐藤以外ならこんなにショックを受けることもなかったような気がする。そう言えば、俊介がつき合った女の子って佐藤さんタイプだよなあとか、どちらにしても私とは違うタイプなんだなあとか、ますますどつぼにはまっていった。
昨夜のメールではもちろん佐藤のことなんて話にも出ず、俊介のメールも至って普通だった。メールの内容で推測できるような事ではないが、日曜日に会う約束をしてくれた。
とりあえずつき合いをやめようなんてことはない、よね?
昼休みに唯菜の話を聞いた美咲は少々呆れたようで笑いながら言った。
「考えたって仕方ないわよ。んなもん本人に聞きなよ。」
唯菜があれこれ邪推していたことを美咲はお見通しだった。朝、唯菜が登校する前に昨日のことは奈津美から聞いていたらしい。
無理と言う気持ち込めて美咲を見上げる。ふと美咲が思い出したように尋ねてきた。
「そういやちゃんと誘った?」
「うん、日曜日に約束した。」
「なんだ、平気じゃん、約束したのって佐藤さんと話ししてた後でしょ?」
「そうだけど。」
唯菜はテスト前にたまたま聞いてしまった俊介も交えた男子の会話の内容を美咲に話した。
「別に気にする事じゃないよ。中村はそんな話したことさえ忘れてるよ。」
そんなものなんだろうか。
唯菜も一時期はその程度のことだと思っていたのだけど、今はまたそんな風に割り切ることができなくなっていた。
「はあー。」
大きな溜息をつく唯菜に、美咲は「内容も分からないのに考えるだけムダ!中村に聞きな。」ときっぱり言い切って、窓際に顔を向けた。唯菜もそちらを見る。俊介や藤山達が騒いでいた。南向きのこの教室は陽当たりがよく、天気のいい日ならば11月の中旬だということも忘れてしまうくらいの暖かさになる。案の定、俊介はブレザーを脱いでいた。机の上に座って中川の頭を丸めた雑誌でポコンと叩いた俊介が、ぐるんとこちらを振り向いた。机に頬杖をついたままそちらを見ていた唯菜の視線と俊介の視線が合った。
俊介に笑いかけられて、きゃあー、と雄叫びを上げてしまいそうになるのを堪えて片頬だけで笑ってみせた。もしかしたら顔が赤くなっているかもしれない。
「ゆいって、ほんと彼女らしくない。今の中村の笑顔見えてた?」
美咲がぼそりと呟く。
「え?見たよ?ちゃんと笑い返したじゃん。」
顔を上げて反論する唯菜に彼女は無慈悲に通告する。
「あれが?効果音つけるなら『フッ』よね。仕方なく笑ってやってる?みたいな。」
「・・・・どうしろと。」
「もっとこう、笑ってくれて嬉しい!というのを全面に表さなきゃ。てか唯菜ってけっこう誰にでも愛想いいんだから、中村だけに向ける特別な物をもっと見せないと誤解されるわよ。」
誤解ってどんな誤解よ、とか、みんなの前でそんなこっぱずかしいことできるか、とか言いたかったが、たぶん何を言っても美咲に言い込まれるのは想像できたので、唯菜は黙っていた。美咲のいい具合に色の抜けた髪の毛をじっと見つめる。もう、窓の方は見ることが出来なかったが、騒いでいる俊介の声だけはちゃんと耳に入ってくるのだった。

その日、学校では二人きりになる機会もなく、結局夜のメールの時にも切り出せないままだった。
しかも翌日、奈津美から、昨日の部活の後にも佐藤が俊介を待っていたらしいことが知らされた。
唯菜はその時もどうでもいいことのように聞いていたが、内心はみっともないほど慌てていた。
佐藤は何のために連日、俊介を待っていたんだろう、俊介はどんな顔をしていたんだろう、考え始めるときりがなかったが、俊介にはもちろんのこと、奈津美にさえ聞きたいことを口にすることができなかった。
とにかく聞けと言う美咲には、話す機会もないし、メールで聞くのもなんだか嫌だし、と言い訳していたが、本当は自分に気力がないだけだと分かっていた。
奈津美に聞いたことをネタに俊介に問い詰めること自体が、ドラマや漫画で登場する彼氏をやたらと束縛したがる嫌らしい彼女を思い起こさせる。しかもそういうタイプはたいがい敵役なのだ。
「佐藤さんは俊介に何の用があるの?」
その一言を口にしてしまえば、唯菜は俊介と佐藤の仲を切り裂こうとしている意地の悪いオンナ、に位置づけされてしまいそうだ。美咲に言わせれば、馬鹿馬鹿しい、と切り捨てられそうだけど。
もし、万が一うまく聞き出せたとして、佐藤に告白されたと言われたら?
唯菜に何ができるというのだろう。
俊介に向かって何か言えるんだろうか?
断って、と頼むのだろうか?
そんな資格あるわけがない。
自分にそれを言う資格はないし、不要な勘ぐりばかりをしている自分の余裕のなさを俊介に知られてしまうのも怖かった。
そうだ、私の立場。
形だけの彼女。
お試しのようにつきあい始めて、彼女として周りに認められているという訳でもない自分が、俊介の動向に口出しできる訳がない。
結局何もできない自分の立場に絶望してしまうだけ。
<2010.6.20>