大丈夫だよと言おう


4.バカな友人を持つと疲れます

体育祭は晴天だった。そろそろ衣替えの季節とはいえ、まだ夏と変わりない暑さだ。俊介はほこりと汗にまみれて、走り回っていた。前日の準備は予想しうる時間内に終わったが、当日の忙しさは予想を上回っていた。自分達の出番以外は、常に準備係としてグラウンド内を走り回り、用具や備品の運搬をしなければならない。3年生の殆どは本部に詰めて全体の差配、1年生は初めての体育祭に右往左往となれば、実働部隊の中心は2年生にならざるを得なかった。
「いやーほんと働いた!」
常に大袈裟な物言いの雄馬だが、今は彼の言葉に心から頷ける。俊介は他の体育委員に混じって、連絡事項があるということから、本部前で待機していた。俊介は、ぐるりとその集団を見回して、女子の塊の中に、井上の笑い顔を見付けた。体育祭中は、男子と女子で担当部門が異なっていたため、余り顔を合わせることはなかった。
この後、教室に戻って帰りの学活の後、再び体育委員は集合してグラウンドの後かたづけをすることになっている。その時に彼女と同じ担当ならいいなあ、とぼんやり考えていた。
すぐに3年生の委員長がやって来て、説明を始めた。
「今日はお疲れさまでした。片付けですが、この後教室で各クラスの学活がありますので、それが終わったら、またここに集まってください。」
「は?」
隣で雄馬が素っ頓狂な声を上げた。体育委員長に睨まれた雄馬は、いえなんも、と首を振った。
「じゃあ4時半に集合ということで、お願いします。」
気を取り直した委員長がそう言うと、委員達はばらばらと下駄箱の方へと歩き始めた。
「なあ、また集まって何すんの?」
雄馬が俊介に小声で尋ねてきた。
「なにって、片付けに決まってんだろ。」
「え?今日?」
「当たり前じゃん、プリントに書いてあっただろ?」
そうだっけ、ととぼける顔に、絶対読んでないな、と呆れる。
「今日、さくらちゃんと一緒に帰るって約束したんだよ。帰っていいかなあ。」
「いい訳ないだろ?待ってもらえよ。」
「待ってくれるかなあ。」
「知るか。」
「だってさ、サッカーあったら一緒には帰れないだろ?昨日だって、せっかく練習休みなのになんで一緒に帰れないのって言われたんだぜ。なあ、急用ができたって休めんかな?」
俊介はわざとらしく溜息を吐いた。
「代わりがいればいいんじゃないか?」
「あ、そっか、そうだよな。あったまいい。じゃ誰かに頼もっと。」
誰もが疲れている中、こんな面倒な役目を代わってくれる人間など簡単にいるのか、と俊介は訝しんでいたら、案の定、雄馬は自分の身代わりになってくれるような奇特な生徒を探し出すことはできなかったらしい。
学活が終わって、集合場所に向かうと、ちょうど、3年生と話をしている井上がいた。雄馬の姿はない。
集まった委員達は簡易に立てられた掲示板の周りに集まっていた。彼女の方を気にしながらも、俊介は掲示板の方へ近付いて、掲示板に張られた模造紙の内容を確認した。片づけは1年がグランド全体、2年は用具、備品の片付け、3年が本部と万国旗の片付け、となっていた。2年の片づけはクラス毎に片付ける物が決まっているらしく、各クラス片づけが終わった順に帰っていいことになっている。
振り向くと、彼女が立っていた。
「雄馬、帰ったの?」
「うん。急用があるとかで。」
何が急用だ、と心中で毒づく。
「代わりは?」
「あー・・・無理だったみたい。でも、3年の人に話したら、仕方ないって言ってくれたから。2年はクラス毎に片付けるんだよね。」
そう答えた彼女は、淡々としていた。雄馬に対して怒っているでもなく、押しつけられた仕事に困っているでもなく、口元には笑みさえ浮かべていた。
「一人でするの?」
「うん。うちのクラス、平均台だから結構楽だと思うよ。体育館前に置いてあるのを拭いて、倉庫に動かすだけだし。」
彼女は既に自分のクラスの割り振りを確認していたらしい。
「いや、一人じゃ無理だろ。俺、自分のとこ終わったら行くよ。」
掲示板を見ながら考えていたことを言うと、彼女は眉を潜めた。
「え?そんなの悪いって。たぶん3年生が手伝ってくれるし。」
「いいから。」
何か言いたそうな彼女を無視して、俊介は、もう一度自分のクラスの仕事内容を確認すると、入場門の隣に置かれている備品へと走り出した。まだ同じクラスの体育委員である麻植は来ていないが、少しでも早く済まそうと、俊介は割り当てられている用具を運び始めた。ほとんどの備品を運んだところで、麻植がやって来た。
「遅くなってごめんね。」
「いや、俺早く終わらせたいからさ。これ、数えて、そこに書いてある数あるか確認して。」
運び終えたばかりのボール入れと、そこに貼り付けられたぼろぼろの張り紙を指さした。
他の大部分のクラスメートがそうだったのだが、麻植は体育委員に当たってしまったことが不満らしく、会議にも来なかったり、昨日の準備も遅れてきたりと全く協力しようという気がなかった。今日も、俊介と一緒に学活を終わったはずなのに、随分時間が経ってからようやく姿を現した。本当なら文句の一つも言いたいところだが、そんな時間も惜しかった。それにどんなに遅れてもとにかくやって来たのだから、さぼってしまった雄馬に比べればずっとましだろう。俊介は彼女の返事を聞く前に、またグランドへ走り出した。
「はい、ラスト。これで全部そろった?」
「うん。」
最後の綱を納め終わると、二人で壁に貼られた用具一覧を確認した。
「じゃ、俺、ツレの代わりしなきゃなんないから。」
「え?」
「あ、本部の報告は後でやっとくよ。」
挨拶もそこそこに、俊介は倉庫を飛び出すと、体育館へと向かった。グラウンドでは、入場門の周りに人が集まっていた。たぶん門を撤収するのだろう。まだ万国旗ははためいていたし、片付け始めてからそれほど時間は経っていないようで、俊介はほっとする。
体育館の入口には平均台と、フラフープらしき輪の積み重なった物があったが、井上の姿はなかった。
俊介は慌てて中を覗いた。
入口から程近くの所で、平均台の片側を持ち上げて引きずっている彼女の後ろ姿があった。
俊介は靴を脱いでフロアに上がると、必死に前へ進もうとしている彼女へと駆け寄った。靴下なので足音がしなかったせいか、彼女は俊介がすぐ近くにやって来るまで、気付かなかったようだった。
「おい。」
声を掛けると、彼女はぱっと振り向くと、すぐ傍に寄ってきた俊介を見上げて口を開けた。
「手伝うよ。」
「え、でも・・・。」
彼女の両手が辛うじて持ち上げている平均台をぐっと持ち上げると、逆側の方へ顔を振り向けた。
「井上さんはあっち持ってくれる?」
「あの、1組は?」
彼女は軽くなっただろう両手から俊介の顔の方へ視線を上げた。図らずも非常に接近していることに、俊介は緊張を覚える。
「もう終わったから。」
「え、もう?」
「そう。だからさ、こっちもさっさとやっちまって、早く帰ろうぜ。ほら、後ろ持って。」
彼女に反論する隙を与えないように、矢継ぎ早に言う。そうすれば自分の動揺も悟られないと分かっていたからだ。彼女は躊躇いながらも頷いて、俊介の言ったとおりに、進行方向とは逆側の端を持ち上げると、そちらを見ていた俊介に目で合図した。
「じゃ、進むよ。」
あまり早足にならないよう、俊介は倉庫へと進んでいく。ちらりと振り返ると、彼女は真剣な顔をしていた。細い両手で平均台を持ち上げているのが、何だか痛々しいような気持ちになってしまって、俊介は慌てて前を向いた。
倉庫の扉は開放されていた。運動会で備品を外に出しているせいか、内部はがらんとしていた。
グランドの倉庫と同じで、整理場所がそれぞれ壁に貼られていて、俊介は壁を見渡した。
「あの、こっち。」
彼女の声がして振り向くと、入口すぐの壁に平均台と書かれた張り紙があった。
「オッケー。」
少し後退してもらって、その壁際に平均台を置いた。
「ほんとにごめんね。」
体育館の入口へ戻るために並んで歩き始めると、彼女はすぐに俊介に謝った。
「いや。一人でやるつもりだった?」
「う、うん。できれば、そのつもりだったんだけど。」
ちょうど俊介が来たときに、運んでいた平均台のあった所で、彼女は落ちていた雑巾を拾い上げた。彼女は一人で運ぶために、それを平均台の片脚の下に敷いて、フロアに傷が付かないようにして引きずっていた。
「それ、どこにあったの?」
「埃を拭くために置いてあったの。」
雑巾を指さすと、彼女は微かに笑って答えた。平均台をどうにか一人で運ぼうと悪戦苦闘していた様が窺えて、俊介はまたさっきと同じような心持ちになった。
「こっちこそ、ごめんな。」
「え、なんで?」
「あ、いや、雄馬がさ、迷惑かけてるなあと思って。代わりに。謝ってみた。」
俊介は自分でもどうして謝りの言葉を口にしてしまったのかよく分からなかった。ただ、申し訳なくて、何か言わなくては、という気持ちになったのだ。そんな俊介の様子を感じ取ったのか、彼女は首を傾げるようにして、ちょっと笑った。
「それなら、矢野君にはいっぱい謝ってもらったよ。それに今度お詫びにおごってくれるって。急用だし、仕方ないのにね。」
何でもないように言うが、急用というのが彼女と一緒に帰るという事だと知ったら、この子はどう思うんだろう、と心配になった。雄馬がどんな口実を作ったのか分からないが、それに納得して、一人でこの作業をやり遂げようとしていた彼女を思うと悔しくなってくる。
「でも、ほんと中村君が来てくれてよかった。ありがとうございます。」
俊介ははっとした。
俺が悔しがることじゃなかったよな、と我に返った。
「や、別に。それにお礼なら雄馬にしてもらうし。俺もおごってもらうよ。」
「それ、いいかも。」
彼女が可笑しそうに笑うのを見て、俊介は波立っていた感情が凪いでいくのを感じた。そして自分に向けられた笑顔に、また別の動揺が起こって感情を波立たせていく。
出入り口の外には平均台がまだ6台残っていた。
「あ、もうこれ全部拭いてあるから。」
そう言うと、雑巾を手すりにかけて、彼女はさっきと同じように平均台の端の方へと寄った。
「せーのっ。」
俊介のかけ声で、二人は平均台を持ち上げて運び始めた。
出入り口の敷居には数センチだったが、段差があった。
「この段も一人だとやりにくかっただろ。」
「うん、ちょっとね。」
たぶん、ちょっとではない苦労だったはずなのに、彼女はそれ以上口にしなかった。 こういう時、押しつけられたんだから、もっと文句とか言うもんじゃないか。それとも、俺が雄馬のダチだから言いにくいんだろうか。
そう考えると、彼女の奥ゆかしさのようなものが、お互いの間にある壁のように思えて、俊介は少し歯がゆかった。
「部活対抗リレー出た?」
「出てたよ。」
背後から彼女の声がする。
「テニスって何番だった?」
「2番。」
「へえ、すごいじゃん。」
「3年の先輩ですごく早い人がいて、その人がアンカーでごぼう抜きだったんだ。サッカーも2位だったでしょ?」
「え、見てたの?」
俊介は思わず振り返った。
「うん、見てたよ。一応テニス部応援してたんだけどね。」
部活対抗リレーは午前の競技のトリで、男女別に行われる。女子のリレーが行われている間、俊介達は入場門前で待機していたので、ほとんど誰が走っているのか見えなかった。雄馬から彼女がテニス部として出場することも聞いていたが、サッカー部は女子部もなく、3年生が並んで応援している中を掻き分けてまで、リレーを見ようとするには、雄馬の手前、適当な理由がなかった。
「うっわ、見られてたんか。」
「中村君、先頭ランナーで2番だったでしょ?早かったね。」
「そうか?」
強敵の陸上部のランナーが1年生だったから、1番を狙っていたのだが、どうしても抜けず、どちらかというと悔しい思いが強かった。
「うん、かっこよかった。」
深い意味はないだろうに、俊介は顔が赤くなるのが分かった。
こんな程度で喜んでるなんてな、と少し情けないが、女子にかっこいい、と言われる機会など、あまりない。背の低い俊介は、どちらかというと、かわいい部類に入るらしく、1年の時にクラスの女子によく、かわいいと言われてむかついていた。女子がかわいいと評するのに悪気がないのは分かっていたが、それでも男を誉める言葉ではない、と俊介は思っている。
「そういや、テニス、男子の方って3年しか出ないって決めてたのに、女子は2年も出たんだな。」
誤魔化すようにそう言うと、彼女は少し驚いたようだった。
「よく知ってるね。」
「ああ、卓也、ほら近藤卓也がさ、愚痴ってたから。」
「愚痴かあ・・・やっぱ不本意だったんだね。」
「あいつも足速いからな。ま、でも3年が決めたことだからしゃあないって言ってたよ。」
2本目を置いて、また並んで歩く。彼女の表情を見ようとすると少し視線を下げることになるその位置関係を俊介はこそばゆく感じていた。
「そうなんだ、まあ3年生は最後だしね。女子の方は、逆に遅いのに走るのなんか絶対イヤって感じで、学年に関係なく、タイムのいい順に出たの。1年生も出たし。」
「サッカーもそうだよ。ま、うちはほとんど3年だったけど。」
平均台の3本目を持って、また倉庫に戻る。縦に並んで話をするという奇妙な状況にも少し慣れた。雄馬や福永が間にいると、お互いに言葉を交わすことがほとんどなかった。真面目な彼女に対して幾分、堅苦しいイメージがあったが、こうして二人でいても余り気を使わずに話すことができた。自分のことばかり話すような押しつけがましさもなく、話を振ればすぐに適切な応答が返ってくる。
「これで終わりっと。」
最後の平均台を倉庫に並べて、俊介は腰を伸ばした。倉庫を出て、体育館の時計を見ると、作業を始めてから20分が経とうとしていた。
「ほんと、ありがとう。中村君のお陰でこんなに早く終われたよ。実は、3年の人に手伝ってもらうのもかなり難しそうだったんだ。だから、ほんとよかった。ありがとう。」
「いや、雄馬の代わりだし。それより、ほら、本部の報告行こう。」
俊介は並んで歩き始めた彼女が言う、感謝の言葉を早々に遮った。
何度も感謝の言葉を言われると、こちらが申し訳なくなってしまう。そんな大層に有り難がってもらうほど、純粋な親切心ではないのに、と思って、はっとした。それではまるで下心があるようだ、と自分で突っ込みかけて、俊介は慌てて思考を打ち切った。
「あ、報告は私やって来るよ。」
「いや、俺自分のクラスの報告もしなきゃなんないから、一緒に行く。」
「えっ。」
たちまち彼女の表情が曇っていく。
「ごめんなさい、報告する前にこっち来てくれたんだね。」
「いや、そう言う訳じゃなくて・・・。」
俊介はうろたえながらも、適当なでっち上げを言った。
「ほら、うちの女子、やる気ないからさ、押しつけられたんだよ。それで、本部行くよりこっちの方が近かったから、先に来ただけ。報告なんていつでもいいんだし。」
勝手にクラスメートを悪者にして、俊介は何でもないことのように答える。
「そうなんだ。」
「そうそう。」
慌てて言い訳する自分が、不思議だった。これが、例えば雄馬や工藤なら、何を差し置いても手伝いにきたことを、恩着せがましく言えただろう。やはり相手が女子だと、いい人ぶりたくなるもんなんだな、と俊介は苦笑した。

<2011.8.7>