大丈夫だよと言おう


3.これは偶然か?必然か?

2学期初めての委員会があると、担任から連絡を受け、俊介は体育委員会のある教室へとやって来ていた。
普段、来る機会のない、3年生の教室。自分の教室と同じ校舎、ただフロアが違うだけなのに、妙な疎外感があるのは、そこに座っているのが、3年生だからだろうか。
学年順、クラス順に決まった机に座ることになっているらしく、既に3年生の机はほぼ埋まっていた。サッカー部の先輩の姿を見付けるが、周りの生徒と喋っている中を割って挨拶をするのもどうかと思い、自分に割り当てられた席へ行こうと机を数えていた時、どん、と誰かに背中をはたかれた。
「しゅーんすけ!」
呼ばれた声で背中の痛みが雄馬のせいであることを知った俊介は、前を向いたままでひじ鉄を喰らわせた。
「うっ。」
「きゃっ。」
雄馬のうめき声と同時に上がった女子の声に、俊介は驚いて振り返った。俊介の攻撃を受けて大袈裟に仰け反った雄馬が近くにいた女子にぶつかったらしい。
「ワリイ。」
雄馬が謝った相手を見て、俊介ははっとした。背の高い雄馬の向こう側に隠れるように立っていたのは井上だった。
「いける?」
「へーきへーき。」
「ごめんな。だいたい、俊介が悪いんだよ。」
急に話を振られて、俊介は我に返った。
「は?何だよ、お前が急にどつくからだろ!」
「えー俊介ったら短気ー。」
「うるさい。」
いつもの如くふざけた雄馬の言いように俊介は苛つきながらも、彼の背後で突っ立ってる井上の表情を盗み見た。彼女は自分達のやりとりを可笑しそうに眺めているだけで、その表情には突然ぶつかってこられたという不快感は見付けられなかった。
「あの、ごめんね。」
思い切って声をかけると、彼女と目が合った。
「全然。ほんとに平気だから。」
はにかむような表情に俊介は視線を吸い寄せられる。
「なに、俺には謝ってくれないの?」
「なんでお前に謝る必要があるんだよ。」
わざとらしく作られた情けない声を、俊介は一蹴した。井上はまた可笑しそうに笑っていた。雄馬の傍にいると彼女は、ますます小さく感じられた。雄馬の真っ黒な腕とは正反対の白い腕が肩からかけられた鞄のバンドを握っていた。
雄馬が笑いを止めて、俊介を見下ろした。
「俊介も体育委員?」
「そうだよ。」
「1学期いなかったよな。」
「ああ、俺のクラス、学期毎にしたんだよ。しかも1回なったら後はならないの。」
「えーそれいいよなあ、俺んとこ年間だぜ、な。」
同意を求めるように雄馬は彼女の方へ顔を向けると、彼女は俊介の方を向いて頷いた。彼女が雄馬と同じクラスだったことを思い出し、ここまで二人は一緒に来たのだろうか、と考える。自分は同じクラスの女子の委員に声をかけることもかけられることもなかった。
「でもさあ、それって、ほぼ全員に当たるってこと?」
矢野は、しばらく考えた後、そう言った。
「そうだな、てゆうか、2回なるヤツ出てくると思うよ。足りねえもん。」
「だったら、俊介、お前3学期もやれよー。」
「ムリ。」
「いいじゃん、俺がいるんだからさ。」
「余計にムリ。」
そんなことを喋りながら、それぞれの指定の席に着いた。矢野と井上は同じクラスだから、当然並んで座っている。席に着いてしまえば、5組の二人とは離れているせいで話などできるはずもなく、しかも1組の俊介は最前列だった。周りはまだ空席で、俊介は仕方なく机に突っ伏した。背中に雄馬の馬鹿みたいな喋り声と、時々彼女の声が混じって聞こえる。自分も混ざりたがったが、今更立ち上がってそちらへ向かうのは、ばつが悪く、俊介は委員会の担当教師が入ってくるまで眠ったフリをしていた。何故か苛立ちが募って、どうしようもなかった。

工藤の言ったとおり、体育委員会は体育祭の1週間前に1度、説明会が開かれただけで、特にこれといった雑用もなかった。体育祭の前日に行われる文化祭をしきるクラスの委員長、副委員長と文化委員は何度も会議があったようで、それに比べると確かにずっと楽だった。
体育祭の前日は文化祭だった。午前中は体育館で行われる吹奏楽部の演奏や演劇部の劇を観覧した後、午後は各クラスの教室に展示された発表を見て回るという内容で、3時には解散になった。体育委員はこの後、明日の準備がある。体育服に着替えて集合、となっていたが、さて、どこで着替えようかと俊介は悩んだ。グランドが使えないためサッカー部は休みなので、部室の鍵は借り出せない。教室で文化祭の飾り付けを外し終えた女子が、固まって話しているのを横目に、トイレでも行くか、と考えていた。
「俊介!」
廊下で、雄馬が手を振っていた。
「着替え行こうぜ!」
俊介は慌てて鞄を持つと、廊下に出た。
「どこで着替えるんだよ?」
「テニス部。卓也が今日は練習あるから、ちょっとだけならいけるってさ。」
「あ、なるほど。」
確かにテニスコートは体育祭とは関係ないから、テニス部の練習は可能だ。
「よく思いついたな。俺トイレで着替えようかと思ってたぜ。」
急げと言われて、雄馬の隣を走り始めた俊介は、珍しく気の利いた雄馬に驚いていた。
「井上がさ、テニス部は練習あるから部室使えるよって教えてくれたの。さすがに女子の部室は使えんからな。卓也に頼んだんだよ。」
「ふーん。」
靴を外履きに変えてから、部室棟へと向かう。俊介は急に気分が急降下するのを持てあましていた。雄馬の一言一言に苛々してしまい、俊介はほとんど喋らなかった。しかし、言葉少なくなっている俊介に全く頓着することなく、雄馬は一人ベラベラと喋っていた。
体育館は文化祭の後かたづけで使えないため、運動部は軒並み休みで、部室棟はいつになく人影が少なかった。
「今日練習すんのってテニスくらいかな。」
「そうなんじゃね?」
「なんか自分らだけ練習すんのってしんだいよなー。俺だったら休むなあ。」
確かにこいつなら、仮病でも使って休みそうだな、と思ったとき、女子の部室のドアが開いたのが見えた。俊介はある予感がして、視線を外せなかった。予感どおりの姿が現れて、俊介はドキリとした。
井上がこちらに向かって歩いてきた。体育委員の集合場所へ行こうとしているのだろう。彼女が男子棟の前を過ぎた時、雄馬が、顔を上げるのに気付いて、俊介は視線を逸らせた。
「井上、もう着替えたのかよ。」
「うん。矢野君も早くしないと。あと5分で集合時間よ。」
「げっ、ダッシュで着替えるわ。」
「お願いね。」
俊介は二人のやりとりとに無関心を装っていたが、雄馬をその場に残すことはせず、突っ立っていた。彼女が立ち去りかけた時、ついそちらに視線を向けると、目が合った。笑顔を向けられて、なんとか俊介も口の端を緩めた。それが笑顔になったかどうかは自信はなかったが、そのまま彼女の背中を少し見送って、すぐに雄馬の背中を押して、部室へと急がせた。
部室前で待っていてくれた近藤卓也と無駄話を始めようとする雄馬を、俊介は無理矢理部室に押し込めた。
「早くしろよ。」
「えー、疲れてんのに・・・。」
文句を言いながらもそれなりに手早く着替えた雄馬を引きつれて集合場所に向かうと、もうほとんどの生徒が集まっていた。雄馬が来たのに気付いた井上は、ほっとした顔をしていた。 俊介は彼女のその表情を見て、自分も安堵していた。
そのせいか、俊介と同じクラスのもう一人の委員がその場にいないことにも気付かずにいた。

<2011.7.31>