DRUNKER
酔いから冷めたら

先週のゼミ合同飲み会の時に、私は確かにある境地に達したはずだった。
あの夜、今の関係がいいと思って爽快な気分になったはずだったのに。

翌週の月曜日、2限目の授業が開始するを待ちながら、教室の窓際の席でぼんやり外を見ていると、通路を歩くタツがいた。
3階のここから見えるタツとは顔の表情は見分けられない程度の距離があった。顔が見えなくてもタツと分かる。といっても彼が特徴的な外見をしているわけではないと思う。背も普通。太くもなければ痩せてもない。服は取り立ててお洒落ではないけど、全く流行を無視しているわけでもない。同じキャンパスで他にもよく見かける服装と髪型。それはきっと私についても言えることなんだけど、タツは、このキャンパスでぞろぞろいる学生の一人でしかなかった。
なのに、私の認知能力は彼を判別する。もう癖みたいなものだ。
同じゼミになるまで、タツはたまに見かける程度の人だった。同じゼミで接する機会が増えると、すぐに意識するようになったが、同時に他の大学に彼女がいることも知った。もう別れてしまったらしいけど。
少し窓に体を寄せてタツが眼下の通路を右から左へと一人で歩いていくのを眺めていた。
視界の中に突然女の子が入ってきた。談笑しながら、バシバシとタツの腕を叩いている。見覚えのない女の子はきっと別の学部なんだろう。後頭部しか見えないタツが果たしてどんな表情をしているのかは分からないが、きっと女の子と同じように笑っているんだろう。
タツの交友関係は広い。別の学部や、先輩、後輩、いろんなところに顔見知りや友達がいて、どんな人とも気安げに接している。
多分あの女の子が私であったとしても、タツは今と同じように笑って私をからかったりするだろう。
目の裏が熱くなってきた。タツにとっては女の子の友達なんていっぱいいる。
先週の金曜日の夜はそれを忘れていた。
タツの女友達が私だけなら、別に友達でもいいと思った気持ちは変わることはなかったに違いない。でもあれはあの場だけ。
週が明けたら、タツはいろんな女の子と気軽に声をかけ合って、私はその中の一人でしかなくなっている。
私は窓の外を見るのをやめて机に突っ伏した。隣で携帯をいじっていた友達が、「お腹空いたね」と声をかけてきた。少し顔をあげて「そだね」と返す。
情けないことに私のレベルアップは3日でゲームオーバーを迎えていた。というより、もとよりレベルアップなんかじゃなかったんだ。
タツの傍でいたいけど。本当に心から友達だと思えないのなら、この中途半端な近さはもう限界なのかもしれない。
そんなうじうじした心境は飲み会前よりも更に酷くなっていた。なのに、タツは屈託のない笑顔でしょうもない用事で声をかけてきた。さすがに無視するわけにはいかない。
いつものように軽く対応する。なるべく顔を見ないようにしていた。

ゼミ合同飲み会があってから1週間位経った日、生協でタツに呼び止められた。
「おい、昨日パチンコ買ったぞ。」
いつもなら、私の方が先にタツを見つけて、少し離れたところにいるように準備することができたのに、今回は後ろから突然名前を呼ばれて振り返ると目の前にタツがいた。
「え?」
私が眉をひそめると、タツはがくっと脱力してからぼそっと呟いた。
「ミックスナッツだよ。」
「うそ、ゲット?!」
飲みの場での口約束を守るタツの義理堅さに感動して、また、不要な期待が頭をもたげそうになる。
「ゲットゲット!」
「わーい」
タツの前に両手を差し出したが、無情にもその手の平ははたかれる。
「あんなかさばるもん持ってこれっか!」
「えーそんなに大したことないじゃん。」
「俺の荷物は常に最小なの。」
確かに肩からかけられた鞄にはミックスナッツの缶は入りそうにない。もらう側としては、さすがにそれ以上は言えないよな・・・ほんとは言いたいけど。
「それに、俺ちょっと食べてみたいんだけどさ。」
「別にいいけど。ミックスナッツ食べたことないの?」
「いや普通にたべたことあるって!こないだも食ってただろ?」
ぼこんと軽く頭をはたかれる。
「とってきた缶にハニーピーナッツ入りって書いてあってさ、それが食べてみたいの。」
「ハニーピーナッツ、食べたことないの?」
「ない。ピーナッツはバタピーだろ。」
「いいよ、気の済むまで食べてから持ってきてよ。」
「開封したの持ってくるのは嫌だし、言ったろ荷物になるから。お前取りに来いよ。」
一瞬拒否しかけたが、今回のは貢ぎ物であったことを思い出し、言葉を飲み込む。
「ラジャー。」
前にゼミの仲間と押し掛けた部屋を思い出す。大学からは近いから、そんなに面倒じゃない。
ふと目の前に立っている人間が無表情になっているのに気が付いた。
何を考えているんだろう?タツの顔は見上げずに、所在なさげにぶらぶらしている手を見ていた。
どうしたのと問いかけたいがそれはできない。タツの気が戻ってくるのを黙って待っていると、不意にいつもの声が頭上から降ってきた。
「いつ来れる?」
二人のスケジュールを調整して、翌々日の夜8時、私のバイトが終わった後に取りに行くことになった。
タツはいつも明るくて気のいいヤツ、というのがゼミ生の間での共通認識だと思う。私もそう思っていた。
でもそんなタツも2人だけになると難しい顔をして黙り込むことだってあるんだということに気付いたのは半年前だ。人間だから、そういう面があって当然なんだけど、そんなことも忘れてしまうくらい、ゼミの仲間といるタツはいつも楽しそうだった。ただ、半年前くらいから、なぜかタツと二人になる機会が増えたせいか、今まで目にすることもなかった苦悩するタツに接する瞬間も増えてしまった。 しばらくしてタツが付き合っていた彼女と別れていたことを知らされた。
そのことを知ったとき、彼の苦悩は彼女との別れにあったのかと、納得した。
フリーになったタツ。
タツを好きという気持ちを隠している私。友達としての位置を確立してしまった私。
本当ならすごいチャンスなんだろう。
でももう今更、タツに好きだとか言えるような気がしなかった。
彼女を思って沈んだ様子を見せるタツに、私はなんの慰めにもなってないんだと自覚するのが嫌で、二人きりになるのを極力避けるようになった。それに、二人きりだとタツの優しさに都合のいい解釈を付け加えてしまう。
タツも私と同じ気持ちになったりしてるんじゃないかって、根拠のない望みを持ってしまう自分が嫌だった。なんだか惨めで。それでも、タツに本当のところを確認して全く望みを絶たれてしまおうと考えるほど私は潔い人間じゃなかった。
もしかしたらと淡い期待をしながら、他の女の子と話すタツの姿にはその度に落ち込む。
そんな自己完結した感情の起伏など無意味だと分かっていても、決定的に傷つくことを恐れて、私は現状維持を選んでしまうのだった。