大丈夫だよと言おう


10.精進するだけです

大笑いをしたこともあって、俊介は雄馬への怒りをすっかり忘れてしまっていた。練習の帰り道に、そのことを思い出した俊介は、隣で自転車を漕ぐ雄馬を問い詰めた。
「好きとかは、全然言ってないって。体育祭のときに俊介が井上のこと助けてただろ?だから井上は俊介が委員長するなら、副委員長引き受けると思う、て言っただけ。」
「ほんとかよ。」
「ほんとだって。俺は誰にも言ってないぜ。」
きっぱり言い切った雄馬に、俊介はうーん、と唸った。人通りの少ない道を選んでいるから、8時を過ぎると車も人もほとんど通らず、自転車を併走させながら話が続けられる。
「サッカー部の奴にも言ってないだろうな。」
「ないない。お前、俺以外に言ってないんだろ?だったら絶対言わないって。」
確かに、あの後、雄馬にヘッドロックを食らったまま井上と別れ、部室に入った時も、体育委員になった者も含め、そこにいた部員達は、委員長という役職に就いた俊介をからかい混じりに励ましはしたが、井上のことには触れなかった。雄馬とはそれなりに長い付き合いだ。いい加減な所はあるが、はっきり言い切ったのだし、まあ、信用してやるか、という気になっていた。
「でもさ、誰かに聞かれたら、否定はできんかもな。」
「は?どういうことだよ。」
前言を撤回するような雄馬の言葉に、俊介は思わず雄馬を見た。
「いや、お前が井上のこと好き、って誰か気付くかもしれんじゃん。気付いた奴に聞かれたら、違う、とまでは言えんだろ。ま、いいとこ本人に確かめろって言うぞ。」
「そこは否定してくれよ。」
「全く好きじゃない、とか言って、それが変に井上に伝わったら困るだろ?」
俊介は面食らった。そして雄馬の言うことがあり得る想定だということを納得し、彼が先の先まで見通していることに驚いた。
「そうだな。」
「だろ?お前、そういうの、顔に出やすいから気を付けろよ。」
「・・・・。」
「お前、彼女できた疑惑あったしな。」
「は?なにそれ。」
「あ、言ってたの笠原さんだけやし。」
「・・・・。」
「冬頃かな、笠原さんがさ、お前になんかあったのかって聞いたら、にやけてたってさ。サッカーの調子もいいし、俊介にも彼女できたのかよ、って俺にこっそり聞いてきた。意外と笠原さんもそういうネタ好きだよな。」
確かに、体育祭が終わった頃、雄馬のことに絡めてからかわれたような記憶がある。雄馬にまで確認したとは思いもしなかったが、逆に、雄馬の彼女関係の話を笠原に聞かれたこともあった。部長としての責任感だったのか、それとも意外にそういう詮索をするのが好きだったのか、もう随分遠いところにいるはずの人を久しぶりに思い出した。
「笠原さんかあ・・・。どうしてんだろな。」
「さあな、こないだ林さんとか来てたときも、連絡ないって言ってたしな。」
高校に進学した先輩が時々練習を見にやって来ることがあったが、笠原が県外へ行ってからの話は誰も聞いていないようだった。
「俊介の親父、笠原さんのとこと仲良かったことないか?聞いてみたら?」
「んーでもな、最近は全然連絡とってないと思うよ。」
「ふーん、そっか。」
俊介の父と笠原の父親は小学校、中学校と同じサーカー部だったらしい。年は俊介の父の方が2歳上で、俊介と笠原が小学校で同じサッカークラブに所属していた時には、二人とも同じクラブの出身ということもあって、試合観戦の時などよく二人で話をしている姿を見かけた。しかし、中学になってからは、俊介の父は全くサッカーの試合を見に来なくなった。もしかしたら俊介の知らないところで、連絡を取っているかもしれないが、俊介自体が父親と話をすることも殆どないので確かめようもない。
2年の終わりに、成績ががた落ちになり、サッカーをやめろと言われて以来、俊介は父親とまともに話をした記憶がなかった。成績は元のレベルに戻ったから叱責される機会もないままだ。毎晩遅くに帰宅する父親が何を間違ったのか、自分よりも早く帰宅している日でも、敢えて父親のいるリビングに顔を出すことはない。俊介は父親と接するのをなんとなく避けている自分を感じていた。
(まあ、何の支障もないしな。)
その日も帰宅すると母が一人で夕食を食べずに待っていた。父親の姿はなく、俊介は毎日のこととはいえ、ほっとしていた。
「ほら、早くシャワー浴びてきなって。今日は鯛のムニエルだから。」
「魚かあ・・・。」
俊介はあまり魚が好きではない。小学生の時は大嫌いだったが、食卓にあがった物を残すことは許されなかったから、流し込むように食べていた。そのかいあってか、今はそこまで苦労することもないが、夕食のメインが魚と聞くと、若干テンションは下がる。
そうは言っても、これ以上母を待たせるのは忍びないので、俊介はさっさと浴室に入ると、シャワーがお湯になるのを待ってから体全身に降りかかった土埃を洗い流した。
大笑いをしていた井上の顔を思い出す。何度も目が合って、その度に鼓動が強まった。彼女の傍でいるとドキドキする。困惑した顔をさせるとそれは心臓に悪い物になるが、彼女が嬉しそうにしていたなら、同じドキドキも気分を高揚させるものになる。
ずっとあんな顔してくれたらな。
俊介が委員長を引き受けた理由が自分のせいでないことを納得したときの晴れやかな表情。
今日は自分の言動のせいでいらぬ誤解を生み、彼女に暗い顔をさせてしまった。彼女はきっと自分なんかより繊細で人に気を遣う質なのだろう。それはずっと分かっていた事実だが、今日はその原因が自分だったこともあって、余計に身に染みた。
暗い顔を見たくない。
いつも笑っていてほしい。
俊介はふと我に返り、自分が随分と気障ったらしいことを考えている事実に、一人浴室で顔を赤くした。

井上と同じクラスになって俊介はますます彼女から目が離せなくなった。学校へ来ているかどうかもいちいち確かめなければならなかった去年には、彼女のことを真面目で大人しめの女子と思っていたが、彼女の学校生活を垣間見ることができるようになってからは、それだけでは収まらない部分もあると分かってきた。
以前、福永が井上のことを人見知りをするが、慣れるとつっこみもする、というようなことを言っていたのを思い出す。
今のクラスで、井上は福永とよく行動を共にしていた。どちらかというと不真面目な福永のいるグループに彼女が混じっていることに最初は違和感があったが、見慣れてしまえばどうということもなかった。何と言っても、福永と話しているときの彼女は生き生きしている。大口を開けて笑うこともあったし、福永の肩をつついて含み笑いをしていることもあった。
自分には向けられることのない表情を盗み見るだけで、俊介の心拍数は上がってしまう。
自分の前でもいつか心許してくれる時がくればいいなあ、とぼんやり夢想するだけで、具体的にどう行動すればいいのか、俊介には分からなかった。
「とにかく話しかけろ。」
俊介の気持ちを唯一知る雄馬はそうアドバイスした。至極当たり前の内容といえたが、決して恋愛上手とは言えない俊介にとってはそんなレベルで精一杯だろうという雄馬の配慮の上での言葉だった。俊介はそれをできるだけ履行する努力をしたが、望むように二人で会話することは意外と難しかった。彼女は女子の大半がそうであるように、常に誰かと一緒にいた。それは福永だったり、テニス部員だったり、そうなると、俊介は井上と話をする目的で彼女達にも話しかけざるを得なくなった。お陰で俊介はクラスの女子とも分け隔てなく話すことのできる男子と思われるようになった。
「そういうのを本末転倒っていうんじゃね?」
「んなこと言ったって。」
いつもの部活の帰りだった。数ヶ月続いていた工事が終わって、歩道の完備された道を俊介と雄馬は自転車を並走させていた。
部活の後の着替え中、工藤にクラスで一番女子と話してるのは中村だ、というようなことを言われたたのだ。それぞれのクラスで男女間の仲の良さがどうかという話をしていた時だった。工藤は聞かれてただ事実を言ったに過ぎず、そこには何の他意もなかったのだが、他の部員がはやし立てた。俺もクラスで一番女子と喋ってる自信あるな、と言う雄馬の言葉で、俊介は話題の中心から逃れられたが、いい気分ではなかった。
「まあいいじゃん、おまえ、別に硬派ってタイプでもないしさ。話しかけやすい男子っていうイメージがあれば、井上だって喋りかけやすいじゃん。」
「はあ、まあそうなんだけどな。」
「そうそう、気を付けるのは、井上以外の特定の女と仲良くなり過ぎんなよ。俊介が鞍替えするってのなら別だけどさ。」
「鞍替えって・・おまえ、そんなわけないじゃん。」
俊介はむっとした。
「いやさ、お前がそういうつもりなくても、勝手に相手が勘違いして言い寄ってくるかもしれんだろ?」
雄馬は去年、初めての彼女とクラスメートとの間で三角関係じみた女子のバトルに巻き込まれたことが余程応えていたのだろう、真剣な表情だった。
「俺相手にそんな心配いらんって。」
「何言ってんの、別にモテモテとは言わんけど、対象内と思うぜ。」
対象内って何なんだか、と俊介は苦笑しつつ、雄馬から視線を正面へと移した。
「背低いやつなんて対象外だろ。」
俊介は背の順に並ぶと今のクラスの男子で前から3番目だった。そのことはかなりのコンプレックスになっていて、他人に指摘されたらむっとせずにはいられないが、そうなる前に自分から口にして開き直ってしまえば傷は浅くすむ。
「なんだよそれ。俺がモテモテなのは背が高いからってかよ。」
「お前がいつからモテモテなんか知らんけど。」
自分で言い出しながらも、そこから話が逸れたことは正直有り難かった。いかに雄馬とは言え、背が低いのは致命的だということを肯定されたら落ち込みそうだった。
「モテモテだよ。隠れファンとかいっぱいいそうだと思わね?」
「思えませんが・・・。」
「そこは嘘でも思うって言っとけよ。友達甲斐のないやつだな。」
雄馬が俊介の自転車を足で蹴った。
「やめろって。」
崩れそうになるバランスを保ちながら、俊介も雄馬の足を蹴った。日が暮れたとはいえ、季節柄、歩く人の多い歩道を、二人は小突き合いを繰り返しながら進んでいった。

<2012.1.22>
よかったらクリックしてください→ web拍手 by FC2