DRUNKER
お酒のせいだけじゃないんです

ゼミの定例会。といっても月1回、教授や助手の先生も交えて開かれるただの飲み会だ。
俺のゼミの教授は酒好きだ。もう40を越してて、それなりの貫禄だけど、ちっともらしくなく、行きつけはスナックではなく、ショットバーだった。そのせいで二次会はいつもこのショットバーだ。俺としては別にスナックでもいい、てゆうかむしろそっちがいいくらいだが、ゼミの半分は女の子だから、スナックよりはこういった店の方が断然いいんだろう。
こないだここに来たときはゼミ合同だったから、店は貸し切り状態だったが、今日は先輩も合わせて10人程度。テーブルとカウンターに別れて飲んでいた。
俺はテーブルに座ってビールを飲んでいた。こういうお店でビールを頼むと量が少ないから物足りない。確かにジョッキに比べると目の前に置かれたグラスは洗練された形で、女の子の細い手にはぴったりなんだろうなと思う。思わず島田がそのグラスを持ってごくごくと飲み干す姿を想像してしまった。
やばっ。
不用意に熱が集まってしまった部分が目立たないように背もたれから上体を起こした。
島田にミックスナッツを取りに来いと言って呼びつけた日からちょうど2週間経っていた。
計画通りにことを運んで、その夜島田を部屋に泊めることに成功した。パチンコの勝利にかこつけて、あいつが帰れないように次から次へとお酒をすすめた。でもきちんと限度はわきまえて。
完全に酔いつぶれられては意味がない。
そうやって外堀を固めはしたけど、決して無理矢理ではなかったと思う。島田も帰ろうとはしてたけど、結局まあいっかという感じでお酒を飲んでいた。
抱きしめたときもそうだった。一瞬体を強ばらせたけど、すぐに受け入れてくれた。俺はやったと喜ぶ余裕もなく、本能の赴くままに島田の柔らかい体に自分の体を押しつけてしまった。
ひどく性急な手つきになってしまったが、それでも彼女に拒否するような素振りを見いだすことはなかった。
ビールを飲み干してカウンターの向こうにいるマスターに直接声をかけた。
「すみませーん、水割りダブルで。」
ゼミでフォアローゼスをボトルキープしている。もっぱら飲むのは俺と助手の先生だ。
カウンターに座っている島田が俺を見て笑った。言葉をかける前に顔は正面に向いてしまった。隣には島田がゼミ内で一番仲よくしてる女の子と先生がいた。3人でドラマの話に盛り上がっているようだった。
俺も体の向きを前に戻す。こちらのテーブルでは3日前に中東であった爆弾テロの話題だった。教授中心なので幾分堅い。でも就活を控えた俺たちには必要な情報とも言えた。
内定をもらって余裕の先輩らと教授が交わす会話をぼんやりと聞いていた。
あれから2週間。
俺と島田の関係は全くなんの変化もなかった。というよりは、どちらかというと俺は島田に避けられている。それとなく。さりげなく。
もしかしたら俺が自意識過剰に陥っているだけかとも思えるほどなんだが、二人きりで話をする機会は全くなかった。俺は二人きりになろうとしているのに、なれないということは、やはり、島田がそれを拒絶しているからだと考えざるを得ない。
はー。
自然と溜息がでる。
「なんだよ、タツ、めずらしくナイーブじゃん。」
ちょっと酔いの回り始めた先輩にからかわれる。教授もしたり顔で頷いている。
「俺だって不調の時もあるんですよ。」
島田に聞こえるように大きな声で言ってみたが、自分の余裕のなさを示してしまったようで後悔した。

「じゃあね。」
全員が店を出たのを確認して教授と助手が帰っていった後すぐに、島田がひらひらと手を振って、一人で行きかけた。
「おい!」
俺はタクシー乗り場とは逆の方向に歩いていこうとする島田を呼び止めた。
「お前どこ行ってんの?」
「え?ああ、今日は自転車なのよ。平川は彼氏迎えに来るから送る必要ないし。」
振り返った島田は何でもないことのように言った。
いつものゼミの飲み会で一緒に乗り合わせて帰っているらしい女生徒は携帯を片手に話し込んでいる。
「自転車?そんなん置いて行け。コイツ送っていってから回るよ。」
壁に持たれて辛うじて立っているゼミ仲間の山村を指さして言うと、島田は面倒くさそうに肩をすくめた。
「平気だよ、また自転車取りに来るのめんどいし、取られたらやだし。」
こいつは何をのたまわってんだか。この界隈から大学まで車なら5分、そこから更に5分位のところにある島田のアパートを思い出していた。そんなに遠くはないが、自転車なら15分はかかるだろう。しかも周辺は決して賑やかではない、この時間なら完全に寝静まった住宅街だ。
「あほか!チャリは置いてけ。」
「えー、大丈夫だって、いつもしてるし。」
「は?!いつもしてるってお前・・・」
この危機感のなさ、信じられない。というかそんな危ないことを年中してたなんて今んなって初めて知った。
俺はがっしりと島田の腕を掴んだ。
「じゃあ、チャリを絶対盗られないところに移動させてからタクシーに乗ろう。」
島田は迷惑そうな顔をしていて、一瞬ひるみそうになったが、これはゆずれないと思いあえて無視した。俺は半分睡眠に入りかけの山村を引きつれて1軒目に入った居酒屋の前に停めてあった自転車を大通りの広い歩道に動かした。島田は、俺が引き連れている山村に遠慮して、もういいよ、と言っていたが、山村は半分とんだ意識下でも、「島田、自転車は危ない。」と常識的に諭したので、さすがの島田も謝りながら付いてきた。自転車は街路樹の下のたくさん停められている自転車の隣に置いた。
そこでタクシーも拾った。
島田を一番奥に座らせ次にぐだっとなった山村を押し込む。まずは山村の部屋に向かってもらった。
タクシー内では全く無言だった山村も帰巣本能か、タクシーが停まって肩を揺すると割と普通に言葉を交わしてタクシーを降りていった。いつもなら、ここでタクシーを帰して自分の部屋まで5分程歩くのだが、今夜は島田を送って行かなくてはいけない。
俺が運転手に島田のアパートの説明をしようと身を乗り出しかけたら、島田の方が先に俺のアパートに回るように頼んでしまった。
「おい、先にお前の方回るって。」
「タツの方が近いんだから、先行った方がいいに決まってるでしょ。」
島田はそれだけ言うと、窓の外に目をやった。山村が間に座っていたときと同じだけの隙間が変わらずにあった。歩いて5分の道は車だと大回りになるが、それでも2分もあれば着いてしまう。
やっと二人になれたのに。
自分のアパートの近くにある交差点に差し掛かった。舌打ちをしたくなる。
何か当てがあって島田を一緒のタクシーに乗せたわけではなく、最初はほんとに自転車で帰らせるなんて危険すぎると思ってのことだったが、その実、強引にでも乗せてしまえば、二人になれるかと漠然と考えていたことも否めない。
期待通り二人きりになったというのに、ほとんど言葉を交わすこともなくまた別れるのか?

「そこの駐車場で停めてください。」
運転手に説明しながら、俺は財布の中を確認する。メーターの数字は2250だった。
千円札2枚と500円玉を取り出す。タクシーが静かに停まった。
「これ、釣りいらないんで。」
まだ、1軒回ると思っていた運転手はちょっと驚いていたが、すぐに営業用スマイルで「ありがとうございましたー。」とドアを開けてくれた。
「降りるぞ。」
ぽかんとしている島田の背中に手を回して有無を言わさずタクシーの外に出た。
「えっ・・え・・・・なに?」
何が起こったのかまだ理解していないのか、抵抗もせずに俺の腕の中にいる島田は意味のある言葉を発せなかった。タクシーはドアが閉めるとすぐに、発進した。
「ちょっと!なにしてんの?!」
タクシーのブレーキランプが遠ざかるのを見て、ようやく現状を認識したのか、島田は腕を突っぱねて俺の体から離れようとした。
しかし、そうはさせない。俺の胸を押す島田の手を掴み、島田の背に回した手に力を入れてまだ、何か言い連ねようとする口を塞いだ。
言葉を発するために開いた唇に舌を差し込むと、押さえ込まれた声がくぐもって響き、空いた片手がどんどんと俺を叩いていたが、まもなく、島田の体の力が抜けて、舌と舌の絡む音だけが残った。
しばらくして顔を離す。島田はゆっくり瞼を開けると潤んだ瞳で俺を見上げた。
「タツの馬鹿。」
俺は貶されているのにその囁き声さえも嬉しくて、ぎゅっと抱きしめた。
ああ、やっと触わることができた。
島田の肩に顔を埋めると、この間感じた彼女の匂いがした。
ふと、島田の肩が小刻みに震えているのに気付き、俺は頭を起こして顔を覗き込んだ。島田の頬は濡れていた。
「なんで?」
泣くなんて。そんなに嫌だったのか?
「ごめん、島田。」
慌てて謝ると、島田は首を横に振って口を開こうとするが、言葉にならないようだった。
俺は肩を抱くと、とりあえず、部屋に入ることにした。島田はもう抵抗もせず、俺にもたれるようにしながら、階段を上がってきた。
部屋の中は掃除したばかりではないが、人を呼べない程汚れてもいなかったので、すぐに島田を部屋に通してコタツに座らせた。
「あれ、コタツ。前なかったよね。」
「んー、あの次の日出した。」
「いいね、コタツ。今はないけど、実家でいたときは自分の部屋に置いてたよ。んで、そのままうたた寝してよく怒られた。」
「わかるわかる、コタツって一回入るとなかなか抜けれないんだよな。」
島田はもう普段通りの調子だった。目はまだ赤かったけど。
「インスタントだけどコーヒーいる?」
「うん、いる。」
すんと鼻をすすって島田はまぶしそうに俺を見上げた。その無防備な素振りにまた触りたくなったが、堪えてキッチンに向かった。
マグカップを二つ並べインスタントコーヒーを適当に入れてから、湯が沸くのをコンロの前に立ったまま待っていた。後ろを振り向くと、島田は背中を丸めてコタツに寄っかかってぼんやりしていた。テレビを付ければ、と声をかけようとしたが、リモコンがコタツの机の上に置いてあったのを思い出し、どうしても見たければつけるか、と思い直した。
あいつ、何考えているんだろう?
ちらっと見ただけではっきり分からなかったが、眠っているという訳ではなかった。
先程の島田の涙が蘇る。なんで泣いたのか。
なんとなく聞き出せるような雰囲気にないかもしれない。部屋に入るとそれまでの緊迫した空気が良くも悪くも緩和されてしまい、お互い、気が削がれてしまった。
間が悪いのか、俺が情けないのか、島田がうまくはぐらかしているのか、先々週もきちんとお互いの気持ちを確認することができなかった。
朝、ジャラジャランという大きな金属音で目が覚めて、隣に誰もいないのに気付いたとき、ほとんど何も考えずにシャツだけ羽織って飛び出した。間一髪で原付に乗りかけていた島田を連れ戻した。その行動に、俺は自分の気持ちが決定的に伝わってしまった、と考えていた。
部屋に戻った後、朝食を一緒に食べた。俺が用意をしている最中に手伝うと申し出た島田にキスをすると、真っ赤になって照れていたが、拒絶することもなかったから、彼女は俺の気持ちを受け入れてくれて、全てがうまくいったのだと思った。
食後、島田がバイトがあるからと、ミックスナッツを抱えて部屋を出て行くまで、二人はこれまでと変わりないノリで会話を交わした。友達の期間が長かったから、急に色っぽい会話なんてお互い照れくさくてできなかった。でも、きっと来週から、二人の関係は少しずつ変わっていくのだろうと期待していたのに、そんな俺の甘い考えはあっさり裏切られた。
彼女の態度はどちらかというと俺にとっては悪い方に変化していた。
初めて見た島田の泣き顔。
それは俺をめちゃくちゃ焦らせるだけの衝撃を持っていたが同時に、全く別の、抱きしめて慈しみたいという情動を起こさせる儚さも合わせ持っていた。
やかんの中身が沸く音がし始めて、俺は慌ててコンロの火を消した。
やっぱり島田が好きだ。
ちょっと仲の良いゼミ仲間として傍にいてもいいと思ってた時もあったけど。
そんなの無理だ。何度か実際にこの手の中にあった柔らかい感触を諦められるわけがない。
俺は決意してカップを二つ持って狭いキッチンを出た。近づくと島田は顔を上げた。まだ目は赤いが、それは泣いたせいではなくて、もしかしたらコンタクトが限界なのかもしれない。
「はい。」
「ありがとう。」
俺はできるだけ近くになれるようにと意識して、島田の向かいではなく側面からこたつに入った。隣はさすがに入るスペースがなかった。
布団の中は十分に暖まっていてほっとする。足を伸ばしたかったが、島田の足と触れる可能性があるので、やめた。島田はまだコートを着たままで、マグカップを両手で包み込んでいる。
ふーっと息を吹きかけてから、口を付けて、少しだけのんでいた。寒さに縮こまっているせいか、より小さく見えて俺は思わず笑ってしまった。笑い声を立てたわけではなかったが、息の漏れた音が響くほど静かだったので島田がこちらを向いてムッとした顔になった。
「なに笑ってんの?」
「いや、島田がリスみたいと思って。」
「リス?!」
「うん、ドングリかじってるみてー。」
「ふーん、まあリスなら許すよ。かわいいから。」
島田が屈託なく笑った。
久しぶりにこの笑顔を至近距離で見た気がする。今週、大学では近寄ろうとするとすっと遠ざかっていくのを俺は敏感に感じていた。ずっと目を逸らされていたし、笑顔はいつも別の人間に向けられていた。
「うん、お前かわいい。」
一瞬の後、島田の表情が強ばる。
俺は、色を失っていた彼女の頬に微かに赤みが差すのを冷静に見ていた。
「な・・やだ、ははは、らしくない。」
「いや、マジだし。」
頬に触れると冷たかったが、それでも、やっぱり赤みがかっているのには変わりない。島田の黒目がちの目が見開く。
ほんとにリスみてー。
俺は顔を近づけて少しだけ唇と唇を合わせた。島田は固まっていた。
「島田のこと好きだから。」
「うそ・・・。」
伝わってなかったのか。ちょっとがくっとくる。
「こないだので分かるだろ。」
「えーだって・・・ほんと、なの?」
島田はもごもご口の中で呟きながら少し俯いていた目線を上げて、俺の顔を見た。
「マジ。じゃなきゃ追いかけたりしないんだけど。」
「・・・。」
こっぱずかしいセリフだったが、俺はみっともないくらい必死だった。それでもある1点は醒めていて、俺を見上げる島田の目が揺れていて、もう一押しで決壊しそうだということを認識していた。
「好きでもないおんなとヤったりしない。」
「・・タツ・・。」
目の前の顔が一瞬歪むと弾けたように涙を流し始めた。
「すき・・・。」
これは感極まっての涙なんだよな。
確かめるように肩を抱き寄せると、彼女は素直に俺の胸元に頭を寄せてきた。
今度こそ、きちんと掴まえたんだという実感が触れ合った半身の重量感とともに俺の全身を伝播していった。
<2008.10.31>
よろしければクリックお願いします。 拍手する